~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

無価値感も罪悪感も「ただ置いておこう」

感情的な反応が起こったときに「なぜ」を紐解いていくと、いつも辿り着くのが自分の無価値感や(生きていることへの)罪悪感。

 

「これさえなければ…」と毎回思うし、「いつになったら消えるんだ…」と何かある度に毎回打ちひしがれるし、何ならときにはそれをもってる自分に疲れちゃって絶望も味わえちゃう。

 

けど、今日はいつもより深掘りした末に認識がちょっと変わった。

ざっくり言うと、無価値感も罪悪感も「ただ置いておこう」って感じになった。

 

「なくなれ!消えろ!お前のせいで!」みたいな排除する感覚を止めて、無価値感も罪悪感も、ただそこに置いておいたらどうなるか?を素直にやってみようと思った。

 

今まではオセロの黒色の面をゆっくりゆっくり白色に「変えなきゃ」と動いている感じだったんだけど、「黒だろうが白だろうが関係ねぇ。ただ在るだけや。」って、石(コマじゃなくて石というらしい)をドバー!っと、袋に入れてただ眺めている感じにしたほうが、逆説的だけど上手くいきそうというか、気持ちがすーっと落ち着く感じがした。

 

前回の記事とも関係するけど、無価値感や罪悪感を本当の意味で愛せてなかったんだなと痛感した。

 

実際にそれをもってるからこそ目の前で起こることへの反応も強くなって感情的にもしんどくなったりするし、そこから早く抜け出したいってやっぱり思う。

けど、そこで無価値感や罪悪感を目の敵にして「排除ぉおおお!!」ってなると、エネルギーをかけ続けてプッシュしてる「推し」状態になってるわけで。(推したくない推し)

 

それをやってる間、無意識だとしても要らないエネルギーを使ってすごく疲れるし、自分の一部を否定してる状態にもなってるんだよなーと気づいた。

 

無価値感や罪悪感があると「○○すべき」みたいなマイルールを無意識で握りしめているから「あー、○○すべきって思ってるなー。」と意識的に見る必要は出てくるけど、そうやって頭で意識できて意識的に変えられることはやってみたとしても、その元凶である無価値感とか罪悪感を「この意識的な変化によって消してやるんだ…!」みたいなことをやってると、実は逆効果なんじゃないかと思ったんだよね。

 

自分ではそこまでやってないつもりだったんだけど、よーくよーく観てみたら、排除したい気持ちまんまんだったYO☆(/ω\)

 

しんどくなる自分に対して「その気持ちもめっちゃわかるぞーw」って感じなんだけど、「変えてやろう」「なくしてやろう」をちょっと諦めて、「できることだけやって、あとは置いておこうぜー。」ってな感じで、とことん無価値感も罪悪感も「在るだけ」って認めて緩めていく方向でいこうかと。

 

「問題だ!排除だ!」は、自分本来の無条件の愛の音じゃないから結局、不安にしかならんのよね。さっさと変えたいし、さっさと楽になりたいから焦るけど、急がば回れで逆にエネルギーかけずにそっと置いておいてみるわ。

 

ポジティブもネガティブも在るねー。ただ在るねー。そうだねー。という包括した視点でもっと自分のことを安心させていきたい( 'ω'))

 

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