~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

それでいい。これでいい。よくやってる。

お正月ぶりにお酒を飲んでる。アルコール5%のチューハイ。

 

今夜は両親とも身内の年忌で家を留守にしてて、猫と一緒に留守番中。

 

いつもだったら飲まないお酒だけど、父が寝てる部屋の小さな冷蔵庫にお正月に余ったチューハイが眠ってることを思い出して、今日ぐらいいいかと思って1本飲んでる。

 

3%だろうが5%だろうが全然お酒に強くないわたしはすぐ赤くなる。顔どころじゃなく全身。解毒できてない証拠だから本当は飲まない方がいいとわかってるけど、今日はいいことにした。

 

毎度おなじみだけど、ちょっと疲れてやさぐれてる自分がいる。

昨夜は3ヵ月ぶりに3時間、母と話した。きっかけは父との何気ない会話の話。

 

「お母さんは今日は(仕事に)単車で行ったの?」

「どうだろう?わからない。

 あ、でも今日は仕事が10時だったはずだから単車で行ったんじゃないかな?」

「うん、さっき見たらバイクがなかったから。

 あとで雨降るはずだけど、雨を潜り抜けて帰ってくるんだろうね笑」

 

本当に、本当にくだらない何気ない会話。

でも、たった数秒の会話でもわたしには違和感しか感じられなかった。

 

バイクがないことを知っていながらなんでわたしに聞くの?

雨が降るかもしれないことを伝えることで、母を車で送らなかったことを突いてるの?

 

こういう風に言うと過度な被害妄想だと思われそうだけどしょうがない。

でも、父にはたくさん嘘をつかれ、他責の的にされ、サンドバッグにされてきた。

 

「この言葉の裏には何があるんだろう?」常にそう思って先回りしないと、察することができなかったら人が居ないところで責められ、「普通ああいうときはこうしなきゃね」と目も合わさず言葉を吐き捨てられ馬鹿にされてきた。

 

ただの思い過ごしであってほしいけど、もう言葉をそのまま信用できない。

今のわたしは何十年もモラハラ野郎の相手をして疲れ果て、もう傷つきたくなくて何も期待しないように心がけて物理的な距離をとってる。

 

でもやっぱり傷つくことを選んでしまった。何か言われてる気がしてしまった。

だって実際にたくさん言われてきたから。

こんなやつにどう思われてもいいと思えてたつもりだけどまだ期待してた。

 

そして自分が想定してたより傷を引きずってしまって、つい母に話してしまった。

 

1月の頭に母から「お父さんと何かあったことを話されたら、わたしも何かしなきゃと思ってしまう。何もしてほしくないならもう話さないでほしい。」と言われ、もう何も話さないと決意して今までの感謝を述べたけど、季節のせいか頭のなかのグルグルが止まらず「ちょっとだけ」と言いながら長く話してしまった。

 

でも、情緒的ネグレクトをしてた母のこと。

「お父さんはそんなつもりで言ってるわけじゃないと思うけどね」といつものトーン。

期待しちゃいけないのに、期待してた自分をまた発見してしまう。

 

結局、3時間あれやこれや話してしまった。そしてまた伝えた。

「もう話さないように自分で何とかできるように頑張るわ」って。

 

本当は寄り添ってほしいし背中を押してほしいし何なら抱きしめてほしい。子どもの頃に得られなかったあらゆることをどこかで期待してしまってる自分がいる。

 

でも、年齢関係なくそれらを「子ども」にすることが「恥ずかしい」と感じる母の感覚を大人になった脳みそでより鮮明に受け止めて認めなきゃいけない。

 

話さないといいながら何も策なんかないし、期待する自分はまだ居るし、どうしていいかわからない自分もいる。

 

ちょっと前に話したみたいに不安は常にある。変わりたいのに変われなくて、焦りそうになる自分がたくさん出てくる。些細なことでも毎回毎回凹んで、毎回毎回「今はしょうがない」って視点を変えて時間薬を使う。

 

どうにもできない状態でとりあえずの延命治療をしてるような気分にもなる。

でもそれすら「今はしょうがない」と思って、深い嘆きモードには入らないようにしてる。いま答えが出ないことを考えても疲れるだけだから。

 

「生きてるだけで大丈夫」という言葉ではない安心感、愛着の部分がないとこんなにも体験が1つ1つハードなのかと絶望もしたくなる。でも今は生きてる。

 

毒はあっても、お酒と同じぐらい色んなことを全部飲み干せたらいいんだけどね。

今はそれでよしとしましょう。と、今夜も積極的な延命治療。

それでいい。これでいい。よくやってる。酔っ払いでも書き終えたwえらいぞ自分。

 

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