~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

すぐ死にたくなる自分でも大丈夫

ここ数日、毎度おなじみの無価値感が大暴走してたよ!笑

 

凹みがヤバいときのわたしの行動パターンは大体決まっていて、

 

① マイクラをやりたくなる。(どこか遠い場所へ行きたい感覚&異世界への逃避)

YouTubeでやたらと怪談話を観始める。(見えない世界へ焦点を移行)

うつ病の特徴や心身が限界のサインを挙げるような動画を観漁る。

 行くところまで行くと『死にたいと思ってるあなたへ』的な動画を無心で観てる。

 

大体この3つが毎回マストで順番も大体同じ。

なので①②の傾向が出てきたら『あー。何かよくわからないけど凹み期間来たかも』って、何となく察してる。

 

2~3ヶ月に1回はドンと落ちるけど、MAX凹みは2~3日で何とか終わるし今のところ自力で必ず這い上がることができてる。

 

その這い上がる底力になってるであろう習得した"クセ"がある。

無価値感に気づくたびに無価値感へクソほど啖呵を切ることだ。笑

 

『ッざけんなよ!!いい加減にしろ。わたしのことなめんな!!』

『いっつもそうやって無力を感じさせようとして何が楽しいん??やめろボケ!』

 

大変お上品な言葉で失礼しました。笑

ここで大事なのは無価値感を感じている自分へ対してキレるのではなく、

無価値感を与えようとしてくるナニカに対してブチかますこと。

 

理由あって無価値感を握りしめている自分がいるかもしれないことは一旦脇に置いて、

とりあえず限界のときは死に引っ張り込む声と決別するために、

無価値感を感じている自分と無価値感を与えてくるナニカとは分けて対処する。

 

衝動的になって死を選ばないように、まずは無価値感と罪悪感に押しつぶされそうになりながらもギリギリのところで粘っている自分へ助け舟を出すことが先決。

 

凹みの道中でも、こうやって無価値感を感じている自分を客観視するタイミングがあると、落ちるところまで落ちたとしてもその後の回復が早い気がする。

 

開き直るというか凛として諦めるというか、

生きづらい思考のクセをもちながらも、『"生きる"をこの瞬間もやってのけている』

という自分の驚くべき強靭さに気づく感じ。

 

そして冷静になって振り返る度に『憑き物でもとれたような感じ』と他人事になる。

『そうね♡ たぶん本当に憑いてたんだわ♡』と思って、最終的に自分のせいにもしない。笑

 

今日はそんな憑き物がスッと取れた日で、ようやく風呂にも入れたし、カビまみれになっていたトイレも掃除できた。家事もそこそこ頑張れた。

 

凹み期間のフィニッシュ。

梅雨の雨風で揺れながら豪快に雫を飛ばす庭木の葉っぱを見ながらふと思った。

 

『わたしという全ては与えようとしている。

 与えるという言葉が大変人間的で傲慢過ぎるほど、

 全ては在るものを在るように扱っている。

 

 全ては在ることが前提。

 わたしが1人、無価値感で目も耳も塞いでいるように見せかけている間も、

 空気は鼻から絶えず出入りをしてわたしが生きるためのものを与えようともせず与えている。

 

 全ては当たり前のように与え、当たり前のように生かそうとしている。

 わたしのその全てを受け入れ、受け取る覚悟ができているだろうか?』

 

不思議な文章に感じるかもしれないけど、全てと自分はイコールだとわたしは奥深くで感じている。

でも今はまだ、恐怖に震えて本当の自分と一致できていない自分の側面がたくさんある。

 

重たい無価値感や罪悪感があると、この世界が無理ゲーだと感じてしまうときも多い。

でも、感じる自分がいたとしてもそれは問題ではないし、不正解でもない。

問題や不正解にしてしまうと無価値感を与えてくるナニカの思うツボだから、パワーは与えない。

 

すぐ死にたくなる自分でも大丈夫。

それぐらいの気持ちでいて大丈夫。

 

死にたくなる自分が自分の全てではなくて、無数にある自分の側面のたった1つの側面でしかない。それを『問題だ!』と叫ぶ自分の頭の声はあれど、残念ながらやっぱり何も問題はない。

 

今日を何とか何とか生き切った人。ありがとう。

ここまで生きてきた自分とみんなに、ありがとう。

 

わたしと似たようなものをこしらえて、ハードゲームを選んできた人たちは、自分たちが思ってるよりも本当に本当にパワフルだと思う。わたしも例外じゃない。

 

どんな自分も愛しみ抱きしめながら、自分のペースで自分のゲームを楽しんで生きたいね。