~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

本当の自信

昨日、障子を1枚張り替えたら、今日になって股関節周りが筋肉痛で重痛い。

 

人生で初めて1人で障子の張り替え。

障子の一部にたるみはあるものの仕上がりはまぁまぁよかったし、なにより剥がれかけていた紙の出すうるさい音がしなくなっただけで最高に嬉しい。

 

障子を1枚張り替えただけで筋肉痛になったのは正直予想外だったけど、チャレンジした勲章だと思えばちょいと誇らしい。

 

それと少し前には、母が長年作ってきたゴーヤ(苦瓜)の漬物を自分で初めて作ってみた。レシピを2018年頃には聞いていたけど、ようやく作ろうと思えたのは2021年。

 

なんで今まで作らなかったのかといえば、失敗したくなかったからだよね。

 

漬物にせよ料理全般においては、ひきこもり以前に父から母の味と比べられたことがあって、それ以来料理は "審査される怖いもの" になってしまっていた。

 

料理の審査というよりは、自分の価値を審査されているように感じる恐怖だね。

自分の無価値感を刺激されるのが怖くて無意識でそういうシーンを避けていたのだと今となったらわかるけど、わかっていてもなかなか覆せないのが無意識。

 

今年の4月あたりから料理(夕飯作り)をやりはじめ、ほんの少しずつだけど1つ1つができていく達成感とかやりがいみたいなものを感じることができるようになった。

 

料理=『美味しい物を作らなきゃ』『怒られないように』『ガッカリさせないように』

生きていることへの罪悪感や無価値感が満載のわたしは無意識に料理のハードルをどんどんあげていく。

 

でも、ただ単に『作ってみたい』『楽しみついでに家族の手助けになればラッキー』『とりあえず食べられればOK!笑』という気負わないセリフを自分へ毎回言い聞かして楽しくチャレンジをし続けた結果、ようやく母の味ともいえる漬物を作ることを自分へ許せた。

 

失敗しても大丈夫。結果は関係ない。

やってみたいことをやってみることができる。その1歩が何より大事。

頭の中ではそうわかっていても出来ないことが山ほどあるのが今の自分。

 

そのなかで1つだけ、ほんの1つだけでも『できた』を自分へプレゼントできた時に、自分で自分の価値(生きていることへのOK)を体感できる。

 

生きているだけでも価値があるのは重々承知だけど、自然体で『できた』ことは無理矢理頑張って達成したこととは違って、本当の自信になるって体験から今は思える。自分に嘘偽りがないからね。

 

生きていても自分に嘘偽りばかりだと虚無感しか残らないのはもう体験済みだから、そうじゃない体験が今はしたい。そのために、今の自分を常に出すようにしているよ。

 

それにはもちろん時に勇気も必要だけど、やってみたいことだったら少しは踏み出しやすい。

 

今日の夕飯は、鶏肉、玉ねぎ、ピーマン、きのこを酒やポン酢で炒めたものと、豆腐とオクラに白だしや塩昆布を混ぜて白和えみたいにしたもの。あとは昨日の残り物。

 

料理以外でも『初めて!できた!』が1つずつ増えていって、本当の意味で自分を楽しめて自分を楽にしてあげられるといいなって今は心から思うよ。

また初めての面白い体験ができた時は報告するね。

 

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