どん底ネガティブモードのときって、最悪サイテーな未来しか見えなくて絶望しがち。
「絶対こーなって、あーなって、こーなるしかないじゃん…」
「考えるだけで寒気がする。吐き気がする。」
「全てのことから逃げたい。諦めてしまいたい…」
心がぎゅぅ~っとなって、涙が出て、もう何も感じたくなくなっちゃう。
わたしも本当によくあるウツな状態なんだけど、そういうときってどんな状態か?
立派なりんごの樹を想像してほしい。
見た目も美しいたくさんのりんごが枝をしならせてたわわに実ってる立派な樹。
その樹の下で泣いてるわたし。
「りんごがたったの1個しか実ってない…」
「みんなは美味しいりんごをたくさん食べられるのに、わたしはこれしかない…」
「まじで最悪…何でこうなっちゃったんだろう…」
ん?ん?これしかない?
この樹に実ったものが1個しかない??
パッと見ても、優に数百を超えて実ってる立派なりんごの数々。
でも、泣いてるわたしには1個しか見えてないらしい。
たくさんのりんご(可能性)が同時に、それはそれは数えきれないぐらい実っていて(あって)いるけど、泣いてるわたしはそれに気づいてない。見えてない。
1個のりんごだけを信じて、わたしの頭は一生懸命に叫んでる。
「これしかない!こうなるしかない!これがもっとも確率が高い!絶対だ!」って。
でも、頭の考えた不安を回避するもっとも効率のいい方法をとってきた結果、今のわたしの不安が消えてるだろうか。今のわたしは幸せだろうか…?
他のりんご(可能性)を見えなくしてしまうマジックをかけられるぐらい、本当の自分はパワフルなのだ。
選んでいい豊かさは今同時に数えきれないほど存在していて、
1つだけだと思っていた選択肢は頭が過去の体験から導き出した錯覚で、
本当の本当は、ありとあらゆるたくさんの可能性が満ちていてすでに実ってる。
りんごが1個しか見えない制限の体験を得られる豊かさもある。
でも、制限のなかにばかりいると疲れてしまう。
無数の可能性が同時に存在していることを知っているだけでも気持ちが随分と楽になる。
大きなりんごの樹の下で泣き出した自分が居たら、全ての豊かさに気づいている自分が安心させてあげようと思う。
それぐらい本当の自分は豊かさのなかにいるし、豊かさそのものなのだから。