~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

謝らない人

「俺がそんなこと言った!? 子育てにおいて人と比べる発言は絶対しちゃいけない!

 もし俺がそんなことを言ったなら謝らないといけないな!!」

 

…昔、父から言われた

「○○さんちの娘は料理をしたり家のことをしたりできるのに、なんでうちの子はできないんだ!!」

「洗濯物が畳んで入れてあったけど、この前は靴下がどっちも右だった!」

「掃除機も真っ直ぐにかけられないのか」

 

話のなりゆきで小学生の頃に言われたエピソードをほんの数点、シチュエーションとともに事細かく父へ伝えたときに言われたのが、一番上の言葉。

 

本当は、父がキレた際にテレビを外(庭)へ放り投げたり、コップを投げて壁に穴が空いたり、風呂掃除をしてる最中に「俺はちゃんと(浴槽の)角のところが掃除できてきるか毎回擦って確認してるからな」と脅しにきたりしたことも改めて一緒に付け加えたいところだったけど、「謝らないといけないな!!」と言いながら1人で興奮し出したのでやめた。

 

父からよその子どもと比べられた話は今までに4~5回はしてるんだけど、まるで初めて聞いたかのような反応にこっちが驚いたし呆れた。

 

しかも「謝らないといけないな!!」と他人事のように言いつつ『これ以上、俺のことを攻撃するな!!』と威嚇し、保身丸出しで絶対に謝らない。もちろん、今までも謝られたことはない。

 

父の歳を考えれば物忘れや記憶がなくなっていても当然とは思うけど、話をしながらそれとは別の違和感を感じた。

 

これは前回記事のバチクソに嫌なことがあったときの中身でもある。

 

絶対に謝らない&自分の非を認めない父は死んだじーちゃんとまるきり同じ。

亭主関白と言えば言葉のおさまりは良いけど、どっちも愛着障害のナルシスト(自己愛性パーソナリティ障害)っぽい雰囲気がむせるほどに漂ってる。

 

「自分が絶対に正しい!自分は間違ってない!」というオーラを纏って、

何か問題が起きたら、「自分はそんなことしてない。言ってない。」の一点張り。

 

母やわたしが「こうなる可能性もあるんじゃない?」

「こうしてたほうがいいんじゃない?」と言っても、「絶対にそうはならない」と父は譲らない。だが、結果は毎度こちらの予想通りになる。

そしてもちろんその責任は一切取らない。謝らない。逆ギレする。

 

外面はとてもいいし外では平気で謝ってるけど、家のなかでは皆無。

母とわたしをターゲットにして自己陶酔し、自分を保つためのエネルギーを吸い取ってなんとか生きてるっぽい。

というのが、ここ数週間で判明したことだ。

 

3歳から周りの空気を読んで自分の感情を出さずに演じながら生きてきたわたしは、父にとっては格好の餌食(ターゲット)だったんじゃないかと思う。

 

わたしは医師じゃないし、父の状態から病名を推理したとしても何の意味もない。

けど、ここ5年程の間に父の責任逃れが度を越し、自分だけに向けられていたものが母へも飛び火するようになった。

 

きっと、わたしが少しずつ自分の意見を言うようになり、おかしいと感じたものへは「おかしい」とハッキリ言うようになったせいで、父は自己陶酔が上手くいかずに、わたしよりもハッキリと物を言う母へもコントロールをかけざるを得なくなったのだろうと思う。

 

今までされてきたことの点と点がまだ斑ではあるものの、ほんの少し繋がった気がして、改めて目が覚めた気分になったのと同時に、改めて父がしてきた自分への扱い・行いについて「ふざけんな」と思ってる自分がいることに気づけた。

 

他のきょうだいよりも父の感情の尻拭いをしてきたと思ってはいたけど、

「あー、こいつは本当にわたしのことを何とも思ってないんだな。」

「子どもだから親へ期待してしまっていた部分があったけど、こいつに気づかせることは絶対に不可能なんだな。」と、ようやく本気で諦める段階に来れた気がする。

 

わたしから見れば今に始まったことではないけど、子どもに寄り添うことなく、どこまでも保身で逃げ続ける意思を示したということは、これからもわたしを雑に扱う合図だと受け取ったし、父自身も自分のことを雑に扱っていく合図だとわかった。

 

父は変わらないから自分が変わらなきゃと頭では思ってたけど、腹の奥底では『何とか受け入れてほしい…わかってもらいたい…』と依存し願っていた自分がいたのも事実。

 

子どもだもん。親子だもん。そりゃそーよ。とは思うけど、今後は今以上に自分を犠牲にしたり近づいたりしないようにもっと意識しよう。徹底的に線引きをしようと思った。

 

わたしはあなたのエネルギーチャージスポットではありません。

わたしはあなたから雑に扱われていいような人間(存在)じゃありません。

わたしはあなたの感情の尻拭いはしません。

 

昨日は謝らない人の特徴をあれこれ調べたり考えたりしてるうちに何かがプツンと切れて、車で気持ちが赴くまま4時間あちこち走り回った。何個も町を跨いで走って、3歳の頃に感情を抑え込んでいた場所にも立ち寄った。

 

自分を押し殺して窒息してる3歳の「ゆきこ」を助けに(迎えに)いかなきゃって。

そんなことをしても何の意味もないかもしれないけど、ただそうしたくなったからそうした。

 

本当は全て問題がないのだろうけど、現実はひどくどうしようもないというジレンマ。

必死に生きる父。必死に生きるわたし。

包括的な視点(自分本来の視点)にしがみつきながら必死で気持ちを整理する。

 

父が全身全霊をかけて学びをくれているんだと思うからこそ、わたしはそれを活かして成長してやる。絶対にタダでは起きない。今ある全てを使い倒してやる。って思う。

というか、そう思わないと同じ屋根の下ではやってられない。

 

わたし自身が父に引けを取らないぐらいめちゃくちゃたくさんの不安と恐怖をもってるから、ほんの少しだけポジティブに舵を切ることすらすぐには難しいこともある。けど、必ず着地だけはポジティブにしたい。

 

49%ネガティブ、51%ポジティブでいいと思ってる。

車のハンドルだって、わかるかわからないかぐらい左に少しハンドルを切ったとしても距離が進んだ時にちゃんと左に曲がってることに気づくはず。

 

変わってるのか変わってないのかわからない本当に途方もない場所に居る気がいつもしてる。でも、ちゃんと変わってきてる。確かにそうだから自分へもそう言い聞かす。

 

溺れかけながら、もがきながら、でも絶対に自分を諦めずに進む。

キレイゴトを言いながら泥水を啜りながら、

生きることにめげずに、ただ「わたし」という命を余すことなく実行してやる。

 

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