プライドが高い男性と怒りっぽい男性が苦手だ。
だいたいこの2つの気質はセットのような気もするけど、
プライドが高いことが悪いってことじゃなくて、
その不要なプライドを手放せないが故に周りをコントロールし始めることが嫌。
この気質は、わたしの身内や親戚に多いので気づいた時はよく観察している。
そして、身近な人たちの気質は全て同じではないにしろ必ず自分も持っている。
自分の思考を変えるためには、そこを認めないと何もはじまらないとも思う。
だが、唯一違うのはわたしには生きている罪悪感があるが、男性陣にはないこと。
自尊心が高いうえで自信がないのか、自尊心が低いうえで自信がないのかの違い。
このそれぞれの状態がなにをもたらしやすいかというと、主従関係だ。
自分をコントロールできない同士が連み、一方は威圧的になり、一方は萎縮する。
イジメの構造と一緒だけど、これが典型的に見られるのがDVの夫婦とかだと思う。
得たいものは少し違えど、基本的には認められたい同士なので共依存にもなりやすい。
わたしの場合は萎縮タイプなので、嫌だと思ったことは「イヤだ」と言う必要がある。
自分軸がしっかりある人からすれば、そんなの当たり前だと思うかもしれないが、
自分の感情を出さずに無意識に我慢をしてイイ子やイイ人をやってきた人たちは、
これが怖くて怖くてたまらないのだ。
自分をそのまま表現したら、
『嫌われるんじゃないか?怒られるんじゃないか?バカにされるんじゃないか?』
そんな恐怖がずっとつきまとう。
実際に体験があったからこそ、また同じことが起こるのではないかと思って怖くなる。
ちなみに、今でもわたしは父と口論になると声が震えて手が震える。
実際、口論になることは滅多にないけど大抵は意見交換のつもりで話し始めたことで、
父の意見の矛盾にわたしがズバッとメスを入れてしまうことで勃発する。
プライドが高い人の奥義【知ったかぶり】が発動したと同時に、
【コントロール】が混ざり始めるのを嫌でも感じるから無意識に反発してしまう。
ついでに、【これら】の度が過ぎると話に矛盾が出現するから余計に面倒くさい。
『あれ?さっきは○○って言ってたよね…?』
『え?わたしには○○って言ってたのに、本当は○○じゃん。嘘つきー。』
要らないプライドで、どんどん自分と周りからの信用をなくしていく。悪循環。
逆ギレして終了されるのをわかりつつも自分の意見を言うのは至難の業だが、
どうしてもイヤな時はなるべく簡潔に言うようにしている。
もちろん相手への批判ではなく、ただのわたしの意見を淡々と。だ。
そんなこんなで男性恐怖症とまではいかないが、
威圧的な男性(特に目上)が苦手であらゆる場面において辟易してしまうため、
何とか少しずつでも自分のほうを変えていきたい。
仕事をしているとき男性上司のイライラの尻拭いとか無意識にしちゃってたけど、
あれも恐怖からだったのだと今ならわかる。
(男性上司から気に入られることは多かったけど、ほとんど主従だった罠。)
自分を変えると言っても、勇気を出してどんどん男性に近づいて克服!とかではなく、
男性のことを怖いと思っている自分が居るのだと気づくことでだいぶ楽になると思う。
『あ~~!今めっちゃ怖いっっ!』
『意見言ったらもっと怖かったー!動悸するー!のど潰れそうー!ウヒョー』
そうやって自分のことを客観的に観てさ、
無意識にこんなの抱えながらよくここまで生きてきたなオイwwって心から褒める。
早めに気づいてよかった!対処考えられる。ありがとう!って自分を安心させる。
そんなのに気づいて何も嬉しくない…って思う人も多いかもしれないけど、
長いこと無意識の恐怖に気づかずに、もっと自分を犠牲にしてしまう人たちも多い。
比べるわけじゃないけど、わたしはここで気づけてよかったと思ってる。
男性に苦手意識がある人たちだって、苦手になりたくて苦手になったわけじゃない。
けど、『なるほどー。わたしって男性が苦手なのか。』って気づいて、
自分を大切にする!って決めると、
主従的で犠牲的なことにNO!と自然に思えてくるようになってくる。
わたしも感覚にそって少しずつ自分の気持ちを言うようにしているし、
『怖いものは怖い!!だけど、それも今はしょうがないよな!』と素直に認めて、
いつか苦手すらも気にならなくなる日がくるといいなーと思って行動はしてる。
時間はかかると思うけどね。
でも、勝手に萎縮して勝手に苦しむだけなのはもうイヤなのだw
似たようなみんなも焦らず、まずは自分のことを大事にしていこう。
(。・ω・)(・ω・。)ネー♡