自身との関係を見直しはじめると、周りとの関係も見直しはじめる。
わたしはここ5年ほど自身と同じぐらい親と向き合うことをやってきた。
『自分は愛される存在ではない』
何につけても生きている罪悪感が纏わり付いている根幹には、自身は元より親との関係性においても無視できない偽りがあることをどうしたって認めなければ進めなかったからだ。
自身と同時に親と向き合うのはかなりハードルが高いのでオススメはしないが、わたしの場合はどうしたって同じ屋根の下に暮らしているので、まずは伝えてみないことには何もはじまらなかったというのが正直なところであり、必要に迫られた結果 "向き合う" ことになったというほうが正しい。
それに拍車をかけたアイディアが、心理カウンセラーなどの第三者に親との関係性や過去のアレコレを聴いてもらったとしても結局は自分で1つ1つケリをつけていかなければならないのなら、最初から素直に親と向き合ったほうが時間も金もかからずにいいじゃないか。というもので、一休さんも驚くほどのド真ん中でどストレートなやり方だった。
もちろん、ただ単に潔い性分だからという話などではなく、交通費やカウンセラー料などの金銭面を考えた時に親へ迷惑をかけないようにと意識が働いた部分も当然あったわけだが、今のところはそれが裏目に出ず功を奏しているのでこれはラッキーとしか言いようがない。
向き合うにあたっては自分のタイミングだけではなく、親(相手)のタイミングをしっかり観る必要があるし、なにより相手に期待をしないことが1番に求められる。
この、期待をしないってところが親子関係だと1番難しいんだよね。
特に罪悪感や無価値感を抱えて生きてきた自分みたいな人ほど、『わかってほしい』『ちゃんと聞いてほしい』とかの無意識が泉のように湧いて目の前の出来事にも変に絡まってくるから、しっかりそこに気づいて対処していかないと自分も相手もたまったものじゃなくなる。
なので親と向き合おうと思うなら、ある程度は自分で自分を癒やせる状態になってからがいいと思う。(長年の想いをぶちまけて解放しなきゃいけない最初のタイミングは確かにあるけど、それを身内に吐き出す場合は良くも悪くもお互いの衝撃が余計に大きくなることはわかっておいたほうがいい。)
どんなに勇気を出して親へ伝えてみたとしても親は何も変わらないというのが前提。
でも、1番大切なのは自分の伝えたかったことを勇気を出して言ってみたという事実。
もうそれだけで自分への信頼がぐんとあがる。言う自分をOKできたことだけで拍手。
ただし言うと言っても、それが攻撃性を含んでいては元も子もない結果になる。
なぜならそれはただのコントロールになってしまうから。
自分がされてきて1番いやだったことを求めてしまうと結果どうなるか?は自分がよく知っているはずだ。
期待をせずに淡々と自分の意見を言って相手の意見を聞くだけだと常に一線を引く。
それぐらい不器用なバランスの取り方をしながらも自分を信じて一生懸命にやってみることそのものが本当の自信にもなる。
親もわたしと同じ1人の人間で、今までの体験も生き方も何もかも違う別の人。
『親なんだから子どものことを全てを理解できる』なんて有り得ないのだ。逆も然り。
親を等身大に捉えられるようになってくると、自分とソックリなところと全然違うところがたくさんみえてくる。
自身と向き合って、勝手に思っている自分の良い所も悪い所も全てOKだと認めていると、親の良い所も悪い所もOKできる。むしろ、自分と違うところに感謝すらわく。
感謝といっても別に崇め奉る必要は全くないし、自分にとって必要がないところはただ認めて通り過ぎればいい。(認めるということは相手の言うことに従うことじゃないよ)
自分を責めるでもなく、相手を責めるでもなく、今の自分を受け入れながら、今の相手も受け入れる。ただそれだけ。その練習を事あるごとに淡々とわたしはやっている。
周りに迷惑もたくさんかけるし失敗もするし全然うまくいかなくて落ち込んで、理解して欲しいって気持ちが大きくなるときも山ほど有る。
でも、止まらない。
でも、責めない。
そうやって全然完璧じゃない自分をどんどん認めてどんどん自分を楽にしていく。
その振る舞いが巡り巡って誰かを楽にしていくことだってあるのだ。
変化してない人は誰も居ない。でも、自分が思ったようには誰も変化しない。
時間はかかるけど自分の思ったように変えていけるのは自分のことだけ。
そう教えてくれたのは自分でもあるし、身近に居た親でもある。
誰がみてもわかりやすい親の愛は無数にあるだろうけど、自分が考えていた以上の予期せぬ親の愛が自分との間にみえた時、この親で本当によかったと感謝がわく。
もう、それだけでもここまで歩んできてみてよかったと思える。
最後に、わたしと母の間で言うセリフを書いておくね。
色々と話をしながら、わたしと母は「親子歴は5年♪」だと言って一緒に笑うの。
約30年間、互いに余裕のなかった人間同士だったことを認められたからこそ、今は腹を割って話すことができる。ひきこもりの期間がなかったら、わたしは自分を知ったつもりになっていて、親のことも知ったつもりになっていたと思う。
灯台下暗し。
気づけて良かったなーと素直に思うからこそ、これからも自分にしろ親にしろ何にしろ、知らなかったものに自分からたくさん触れて少しずつでも知っていきたいと思ってる。
ここ最近で1番ながい記事になった。最後まで読んでくれた人、ありがとう。