~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分を無力感という檻に入れて叩き壊さないように

周り(他人)をコントロールしようとすればするほど、無力感って大きくなっていく。

 

『なんで思ったとおりに動いてくれないの?わかってくれないの?』

他人は他人。自分は自分。

わかってはいるのに『相手が変わってくれたら…!』と思ってしまうときは多い。

 

その度に、

イライラしたり、悲しくなったり、寂しくなったり、もう大忙し。

 

そんな素直な気持ちを1番よくわかってるのは自分。だから感じた気持ちは自分で全部しっかりと抱きしめてあげる。だって素直にそう感じたんだもの。嘘じゃない。

 

「イライラもするよね!悲しくもなるよね!寂しくもなっちゃうよね!」

ここまでは最高。

 

「よし!だから相手に変わってもらわなきゃね!」

となると話は別。

 

相手へ期待(コントロール)をしたい気持ちが自分への仕打ちになってしまう。

 

だって相手は自分じゃない。変わらない。

なんなら、自分だって変わりたくても変われないことなんて山ほどある。

人間ってそう簡単に変われない。でも他人にはそれを求めたい。素晴らしき矛盾…。

 

他人が変わることでしか(自分に従わせることでしか)自分の存在やパワーを認められない状態って、結局相手に依存してることになる。

 

たまたま相手が自分の思ったとおりに動いたり謝ったりしても、自分にはほんの少しばかりの安堵があるだけで、結局次もそのまた次も相手が自分の思ったとおりに動いてくれなきゃ安心できない依存状態が続いてしまう。

 

そりゃー、無力感がどんどん積み重なるよね。

 

だって、ずっと誰かに自分のケアをお願いしなきゃいけない感覚を味わうんだもの。

怒って泣いて、たくさんのエネルギー使って自分の無力さを必死に相手へアピールしなきゃならない。力づくで大きな赤ちゃんになりきらなきゃいけない。

 

自分がもっている本当のパワーを嫌というほど知っているから『わかってほしい』わけだけど、自分が1番にそのパワーを『わかっていない』から、無力さをアピールし続けて『お前は無力な存在なんだ!』と自分を貶める悪循環を選んでしまう。

 

わたしはずーっとこれを続けてきた。

大きな赤ちゃんになりたくてなっている人は正直あまりいないだろうけど、きっとわたしは大きな赤ちゃんになった上で、そこからどれだけ本来の自分に戻れるか?自分で安心を創れるか?のゲームを選んできたんだと思う。

 

本当の自分を知って、選べることを知って、選べるタイミングになったいまは違うパターンで動けるように少しずつ練習をしてる。失敗も多いけど、仕方ない。赤ちゃんが急に走り出したらホラーだもんね。

 

自分で寝返りをして、ハイハイをして、ゆっくりゆっくり練習しながら歩いていく。

これ以上、自分を無力感という檻に入れて叩き壊さないように、どんな瞬間の自分も愛しながら進化していきたい。

 

いつもいつも自分に気づきを与えてパワーを戻してくれる周りの人たちにありがとう。

 

 

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