~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

生きてようと死んでようと

夜中の3時にピザポテを食べながら、いつもは観ないような動画を何となく観たのね。

 

その動画では、『霊感がある人は幽霊のことを悲しい・切ない存在だと思ってる』って話してたのよ。で、その瞬間は『そうなのかー』って通り過ぎたんだけど、観終わってから何ともいえない自分のなかの引っかかりを感じたのね。

 

もちろん、その動画で話をしている人は実際にそう感じているのだからそれでよくて、共感する人たちもたくさんいると思う。だから大前提として、その意見を否定する気はさらさらないんだけど、自分のなかでは引っかかりを感じちゃったもんだから、せっかくなので自分なりに考えてみた。

 

で、出した答えは、

『幽霊だろうが何だろうが、そんな弱っちい存在はいねぇ。』だった。笑

幽霊そのものの否定ではなくて、そもそもが弱いという存在はいないということね。

 

確かに悲しさや切なさを纏ってる波動って重いから、それを感知しちゃうと何ともいえない感覚にはなる。怖いって感じたり、悲しさ(怒り)が伝播することだってある。でもそれって人間同士も一緒だよね。

 

その人が出すピリピリした感じとか、柔らかい感じとか、そういうのって感じるじゃない?それと同じ。

 

そして、ここで大事だなって思ったのが生きてようと死んでようと『自分の体験は自分で創っている』という視点(信頼)だね。

 

例えば昔のわたしみたいに、『自分なんか必要のない存在なんだ…』とかひたすら思い込んでたら、当たり前だけどその現実を自分で体験する。

 

『自分は嫌われている…』って信じてたら、『ほーらやっぱり嫌われてる!』って確信が得られるような体験を自分で創り出せる。なぜなら、常にその証拠を自分で探している状態だからだよね。おかげで容易くその体験ができる。それがたとえ無意識であろうとね。

 

だから自分が自分をどう捉えているか?みたいな客観的な視点が大事だとはよく言われるけど、本人が気づかないタイミングのときは誰が何を言ったって気づかない。実際にわたしもそうだったけど。笑

 

で、気づくのが良くて気づかないのが悪いとかそういうことでもない。

 

その人がただそういう体験をしているっていうだけの話で、周りの人たちができることは信頼して待ってることぐらい。だって、その人が自分の現実を自分で創っているって自分で気づかないことには何も始まらないし、なんなら始まらなくても今できる体験を思いっきり謳歌できているだけだから何も問題はない。

 

幽霊の話に戻るけど、そう考えたら、幽霊だって別次元で自分の体験を創っているわけなので、生きてる側が勝手に『悲しくて切ない存在だ』って言い切っちゃうのは、自分と相手(幽霊)を真から信じてないからじゃないかな?って思ったの。

 

あくまでもわたしの感覚の話だけどね。どんな体験であってもどんな状態であっても、その個性の意識がそれを望んでいるからこそ体験をしているし、自分が別の望みに気づくタイミングも自分で創ってると思ってる。

 

変な話、人類滅亡して霊能力者さんが全滅したら、さ迷ってる幽霊は誰かの助けを得られないから、ずっと気づけずに、ずっとさ迷わなくちゃいけないの?って話になっちゃうしね。

 

もちろんそんなことはないわけで。"今は"本当の自分に気づいていないだけの話であって、いつか必ず気づくタイミングがくるのが当たり前だと思ってる。(どうでもいいけど、縄文人の幽霊って誰か見たことあるのかな…)

 

生きていてもさ、被害的だったり攻撃的だったりする人っているけど、本当は別にそれを体験しなくてもいいんだ!って自分で気づくことができて本気で変わりたいと思ったら変えられるしね。(変わりたい!って言いながらも、変われない人はまだそのタイミングじゃないだけ)

 

人間だけじゃなくて全ての存在は、元々そんな小さな存在じゃないし、元々そんな弱っちい存在じゃない。っていうことが土台で感じられていたら、幽霊をそういう存在として扱わなくてもいいんじゃないかな~って思うんだよね。

 

逆にさ、幽霊から『生きてる人たちって悲しくて切ない存在だよねー』とか言われてたら、『余計なお世話やw』って思うもん。笑

 

動画のなかでは、時が前に進むことなく過去を繰り返すだけだから幽霊は悲しくて切ない存在って言われていたんだけど、それもとても人間的な感覚だな~と思った。

 

それが間違いとか言うんじゃなくてね。そう感じるのはそれでいいのだけど、本人がその次元で体験できることをただ体験しているってもっとフラットに見てもいいんじゃないのかなって、わたしは思った。

 

死後は時間がないからずっとそこから変化ができない!っていうのも時間軸を使って観ているとても人間的な感覚だと思うし、そもそも霊視しているのが『この瞬間に存在している存在』じゃない可能性もあるよね。(ここらへんの話は込み入ってくるから割愛)

 

こんなことをベラベラ言っていると霊能力者さんたちから怒られそうだけど、別に能力やお仕事を否定する気はないので悪しからず。

 

わたしが引っかかったことをまとめると、自分ではどうしようもできないような存在なんて本当のところではどの次元にもいないし誰もいないってことかな。

 

『自分は無力!』って信じてたら無力を感じられるぐらい本当はパワフルだし、『自分には助けが必要!』って信じてたら誰かに助けてもらわなくちゃ!って思えるぐらい本当はパワフル。

 

それぐらい、どこまでもパワフルで自由なのよね。

 

その自由さのなかでみんな好き勝手に体験を創造して遊んでいるだけだから、生きてようが死んでようが他の存在だろうが、極論だけどその存在の体験を尊重してあとは放っておけばいいと思うの。笑

 

相手が自力で起き上がれるって信じている(わかっている)ことは、自分を信じていることそのものだしね。

 

とか色々と書いてたらいつの間にか5時だったわ。笑

自分のなかの引っかかりに気づかせてくれた貴重な動画とタイミングに感謝~。

 

月初めの記事がなかなか面白いことになったから、今月も面白い月になるはず。(パワフルな暗示)

 

5月も面白い夢を見まSHOW~☆

ではでは、よいお月を。