~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分のことを棚に上げてました

スマホにメモ帳アプリをインストールした。

使用目的は、自分が感じたことをその場で可視化・整理するためだ。

 

今日は父と話していて感じた2つのイライラをこんな風にメモった。

 

感じたこと

・どうせあんたはわたしのこと否定・批判するんでしょ?

・自分のことは棚に上げて偉そうに!

 

書きながら気づく。

 

『これ、わたしじゃん。』

 

自分のことを否定・批判してる自分が今でも確かにいる。

認めたくないけど可視化したことで改めて気づかされる。

 

思考を変えるために『自分はもう自分のことを否定したり批判してないよ!』って、

頭では思ってるけど、否定・批判してしまうことが今でもたくさんある。

 

訂正、山のようにある。

 

そんな否定・批判していることに気づいている奥深くの自分が、

『どうせあんたはわたしのこと否定・批判するんでしょ?』

『自分のことは棚に上げて偉そうに!』

と、存在を主張するかのように自分へ言っていただけだった。父を鏡に使ってまでね。

 

はぁ…。 図星過ぎて深いため息。

思いっきり自分のことを棚に上げてましたわ。

 

でもそのことについての良いとか悪いとかのジャッジはしない。

自分のことを否定・批判してる自分が今でもいる。という認めだけをした。

 

メモにはこう続けた。

 

望むこと

・否定・批判してる自分が自分のなかにいることをジャッジせずただ認める。統合させる。

・自分が自分のことを棚に上げてた事実を認めて、もっと自分のことを大事にする。愛する。

 

望み方が下手なのはご愛敬。

でも、きっとこうやって自分のあらゆるところのバランスをとっていくことができたら、誰かへ対してイライラを向けて終わり…ではなく、自分のなかのこととして冷静に、そして相手へも感謝をもって思考や感情の整理ができるんじゃないかなって思ってる。

 

自分の見たくないところ、めっちゃたくさんある。

自分のせいにしたり誰かのせいにしたりすれば、一瞬は楽って感じるかもしれない。

けど、ずっと何かのせいにすることが本当は一番しんどいってもう知ってる。

 

変化するって本当に怖いけど、『怖い怖い』って言いながらも、自分と1つ1つ向き合うことで本当の楽さとか自由さを感じていきたい。

 

そっちが自分としての本当の立ち位置だと思ってるしね。

使えるものは何でも使って、使える出来事も何でも使って、今後も自分をとことん愛していく。