近所に認知症のおばあちゃんがいる話を以前、記事に書いた。
そのときは、テレビがつかない・玄関が開かない・新聞が届かない・ガスの火が消えない等のラインナップで1日に数回、昼夜関係なくうちを訪ねてきた。
そこから少し経った頃、なぜかピタリと訪問が止まったので逆に心配になったが、近所の方々の情報やお店等での目撃談にて安否は確認できていたので少し安心していた。
のも束の間、ここ数日また我が家への訪問が始まった。
1日に何度も玄関のチャイムを鳴らし、インターホンで応答するとこう聞かれる。
「〇〇と〇〇(自分の娘たち)はココへ来ていませんか?」
嫁いだ娘さんのフルネームを旧姓で呼ぶあたり、子育て時期の意識状態に戻っているのかはわからないけど、とにかく毎日のように朝から晩まで雨の日も寒い日も娘を探し続けている。
おばあちゃんの娘さんは週1ぐらいで実家に帰ってくるけど、他の日は仕事で面倒を見られない。今は施設の空きを待ちながら、介護サービスを駆使して何とかおばあちゃんの生活を維持している状態だ。(もう限界ギリギリだと思うけどね)
おばあちゃんが昼間に訪ねてきたときは、インターホン越しに家へ帰ることを促す対処程度で済むけど、今日の最終便は夜の9時。寒空のなか、懐中電灯などの明かりも持っていないおばあちゃんをさすがにそのままにしておくわけにはいかない。
「娘さんたちはココにいないけど、家にお母さんが居ないって気づいたら娘さんたちが心配するから、一緒に家に帰ろう?」
「いいんですか…?すみませんねぇ…。」
「うん、そこでちょっと待っててね。」
夕飯を中断して、母の上着を借り、懐中電灯を握って玄関へ。
玄関を出たらおばあちゃんの姿がなくて、『またどこかへ行っちゃった!?』と一瞬焦ったけど、玄関脇の暗闇にポツンと立って待っていてくれた。 ホッ…。
「すみませんねぇ。」
「色々な部屋(たぶん近所の家のこと)に行くんだけど、どこにも居なくてね。」
「子どもが見つからないと不安だよね。」
「でも、夜にお母さんが家から居なくなっちゃったら娘さんたちも心配するよ?」
「そうなのよ。わたしがこうやってウロウロするから娘からも怒られるの。」
「娘さんも心配なんだよ。」
「〇〇さん(おばあちゃん)も1人で不安だろうけど、温かくしてしっかり玄関の鍵を閉めて休んでね。」
「送って(見送って)いかなくていいね?」
「大丈夫、大丈夫。何かあったらこれ(懐中電灯)で倒すから。笑」
「それがいいね。笑」
「じゃ、おやすみなさい~。」
道中と家の前でそんなやり取りをして、無事におばあちゃんを家まで送り届けることができた。今日は昼と夜の2回訪問だったけど、1日に4回来たときはさすがに『またか…』となる。
しょうがない。こちらも生きた人間だ。
毎夜こういう対応ができるか?と言われれば正直… 考えたくない。
でも、おばあちゃんを放って万が一何かが起こったら…と思うと怖い。
実際、認知症の人には見守りが必要だし、近所で情報を共有しておくことも大事だとは思う。こういうテンプレに異議はない。
とはいっても、近所の人が夜まで見守り・対応をしている現実が良いとも思わない。
こういうケースが全国でたくさん起こっているだろうし、これからも増えるだろうね。
幸い、近所のおばあちゃんの場合は、うちの祖母と同じケアマネさんだということがたまたまわかったので、ケアマネさんとも情報を共有しながら見守り・対応をしていけたらいいなとは思う。(家での生活はそろそろ限界だと思うけど…パート2)
役所でバイトをしていたとき、介護者(介護をしている人)が頑張り疲れてしまうケースも多く見てきた。
介護保険サービスを使っても、介護度やお金の兼ね合い、要介護者の要望と家族の要望に相違があったりして、受けたいサービスや受けさせたいサービスが足りない・使えないということもざらにある。近所のおばあちゃんみたいに、長期にわたって施設の空きがないとかも本当に多い。
被介護者(介護を受けている人)が近くに居る人たちは、色々なバランスをとることが難しいときもあると思うけど、自分も含めて無理せずにいこう。って言いたい。
キレイゴトかもしれないけど、みんなが本当に安心して生活ができたらいいのにな…って、アンバランスな現実をみてそう思う。
近所のおばあちゃんについて書いた過去記事▼
funfunhappiness.hatenablog.com