~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

神々たちの遊び

14時頃に起床し、トイレの鏡で見た自分の目がめちゃくちゃキレイで驚いた。

その瞬間に言葉がふと浮かんだ。

 

『神は宿る』

 

さらに、目以外の全てを感じようとしたら

『神は細部に宿る』

という言葉も浮かんだ。

 

ここでいう神とは何か単一の存在などではなくて、全てに流れている源のエネルギーのこと。(物質だろうが非物質だろうが関係なく全てのこと)

 

言葉としてはよく聞くけど、自分の目を見てそんな風に思ったことなんてなかったから『へ~ 珍しい~』って感じだった。

 

『でも確かに、いつぞやのコントじゃないけど本当に神々の遊びだよなァ~。』

なんて考えながらトイレで静かにコンタクトレンズを着けている自分がいる。人は何を考えているかわからないね。(他人事)

 

でも何でこんなにキラキラお目めなんだろうか?と思っていたら原因がわかった。

 

朝方、1時間ほど工作をしていたのだけど、末期がん状態の人へ誕生日メッセージと共に【源氣(げんき)】という創作文字を書いた。

その際に、源のエネルギー状態に自分の意識を調律しまくってから書いたんだよね。

 

そして書いた後すぐに寝たので、本来の音と自分とがバチン☆と重なっている状態になっていたのかも。おかげで、起床後ここ数時間もずっと神々の遊び状態で自分と周りを観られている。

 

いや、どんな状態だよwって思うかもしれないけど、『あ~、何も問題がない。全てを信頼している。全てがただ在るだけだ。そのなかでみんなそれぞれが自由に自分を表現している。』って安心をしながら現実を体験できている状態。

 

別に環境は何も変わっていないけど、この意識でいるとめっちゃ安心だしめっちゃ楽。

 

『この本来の意識からずり落ちまくることができるのもこの世界の豊かさかぁ…。』なんて思えてしまうのもまた本来の意識状態だから。(ずり落ちたときは見事にそんな風には思えない。笑)

 

自分の内側に敏感になればなるほど、自分の変化にもよく気づくようになってきた。そして、個の自分以外の全てにも同じ眼差しを向けられることが何より平和で何よりありがたい。

 

今日も暇を持て余した神々たちの遊びは… 続く☆

 

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