~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

どんな家も神様の住まう場所

年の瀬も押し迫った暮れも暮れに玄関掃除を調子に乗って楽しくやってたら、腰ベルトをしてたほうがいいかも…レベルでいつの間にか腰が痛くなってしまった。(ちょっとしゃがみ過ぎたかな…)

 

けど、今年は玄関のみならず家周りの汚れを高圧洗浄機で吹き飛ばしたり、紙がよれよれになりながらも障子を貼り直したり、網戸の貼り替えを何となくしたりと、完璧ではないものの、できるときにできるだけのことをして家の中と外を整えることを少しずつやってきた。

 

年末になると「新年になると神様が玄関から入ってくるから玄関をキレイに~」なんて言われたりするけど、そんなことじゃわたしの重い腰は動かない。(今は痛いから余計に)

 

今年は別の理由(感覚)で色々な場所を整えることを自発的にやりたいと思えた。

その理由は、

 

「自分も神様だし、住んでるみんな(家族)も神様なんだからそれ相当に相応しくしよ~」と思ったから。

 

どういうこと?って感じだよね。

神様は絶対に1人!って信じてる人はごめんなさいね。

 

でも自分は、神だろうが人間だろうが見えない存在だろうが、最終的にはというか全ては繋がってるから同じ存在(意識)だなーって3年ぐらい前から感じるようになった。

 

だから「自分より偉い神様が来るからキレイにしよう」じゃなく、「自分たち(神様)が住まう所だったらこのぐらいキレイにしときたいじゃん?」という謎のデカい感覚で掃除が捗ってくれたのだ。

 

義務感とか神様に失礼があったら…とかいう変な恐怖感で渋々掃除をするのではなく、自分を気持ちよく過ごさせてあげたい。自分が心地いい状態でありたい。が軸になってるから、掃除をしたあともそれほど疲れを感じることなく作業中も楽しかった。

 

結局は自分のためなんだけど、掃除が終わったところを見たら他の神様(家族たち)も「キレイになったね~!」と喜んでくれて一石二鳥。

 

世間で祀られているような神様や仏様を大事にするのも素敵なことだと思う。

でも、それらの存在と同じぐらい自分のことを大事にしてるかな?と思ったりもする。

 

神の子。仏の心は誰しも持っている。

そう言われる本当の意味は何だろう。

 

自分のなかにも同じものがあると気づけたら、自分のことを真っ先に奉れるはず。

それは自分だけが偉いってことじゃなくて、自分のことを心から愛して大事にできたら、全てへも同じように愛を注いで大事することができるってこと。

 

自分が玄関を通っても気持ちがいい。神様が玄関を通っても気持ちがいい。誰であっても気持ちがいい状態になった。

 

見た目的にはただそれだけのことだけど、視点を変えて取り組むと全てを愛することに繋がるんだなーと、今年は1人で合点がいった。

 

どんな家も神様の住まう場所。

あなたもわたしもみーんな素晴らしい存在。神様そのもの。

家も自分も全ても、大事にしてこー。(腰も大事にしてこー。笑)

 

 

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