~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

線香の代わりにコーヒーの湯気ね

洗濯洗剤とコーヒーの混ざった複雑な香りが居間に広がってる。

天気は雨。久しぶりのドリップコーヒー。

 

洗濯物を居間に干し終え、

「線香の代わりにコーヒーの湯気ね。」

なんて冗談を言いながら、その湯気を腹いっぱいならぬ鼻いっぱい吸った。

 

次いってみようの次の日に母方の祖父が亡くなった。

 

間に合わないかもしれない。けど、勇気を出してヒールを見つけに行こう。喪服のサイズの調整もできたらお願いしよう。よし、次いってみよう。って決めた次の日の朝だった。

 

間に合わなかった。

 

最悪、服は何とでもなるとして、最後のお別れには行きたい。

が、母の実家は近いようで遠い。

 

体調を崩しやすい愛猫のこともあって1~2日ぐらいなら何とかなりそうだけど、そんな短期間では帰ってこれそうにない。何か手はないのか…ってギリギリまで考えあぐねたけど、手はなかった。

 

【この世は生きている人のもの】

 

ターシャ・テューダーさんの本に書いてあったこの言葉をふと思い出し、頭の中でリピートさせ、自分が2人いたらどれだけいいか!!という悔しさと無力感にまみれそうな自分を何とか落ち着かせた。

 

出発する両親を見送ったあと、夜は悲しさがより深くなった。

きょうだいも皆お別れに行くと連絡があった。

 

『また自分だけ何もできないのか…』

 

色々な現実を受け入れなきゃいけないことはわかっていても、大好きな祖父とお別れできないこと、いや、お別れをする準備すらできていなかった自分にフォーカスをしてしまい悔しくて情けなくてたまらなくなった。

 

『でも、このまま自分を責めていても自分にとっては何もプラスにならないね…』

 

これまでの体験のおかげで、ネガティブはここでお暇してもらうことに成功。

 

『最後のお別れができなかった…』と深く悔やむ自分としばし向き合った結果、わたしは "お別れ" がしたかったわけじゃいことが判明した。

 

『もっと一緒にいたかった。最期の最期の最期まで一緒にいたかった。』

 

こっちが本心だった。

不思議だけど本心がわかった瞬間、フッと力も抜けた。そして、こう思えた。

 

『仮に命の期間満了があったとしても、もっと(みんなと)一緒にいたかったのは、じいちゃんも同じだよね。』って。

 

そこまで気持ちが辿り着いた時にはもう自分へ対する重い声掛けもなくなった。

代わりに、上を向いてじいちゃんへたくさん話しかけてた。

 

『今できることをしよう』

 

命を頑張りぬいたじいちゃんが余計な心配をしないように、わたしは楽しんで今できることをやろう。素直にそう思えた。

 

今頃じいちゃんは小さくなってるはずだけど、わたしの中でのじいちゃんの音は変わらずに大きい。笑顔が素敵でやわらかであたたかくて、本当に大好きな人だった。

 

「またおいでね。」

 

じいちゃんの声はいつまでも聞こえてる。

お疲れ様。会えて本当によかった。ありがとう。

 

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