イライラしている父に言いたいことを言った。
めっちゃ怖かった。
心臓がバクバクして、顔の血の気が引くのがよくわかった。
それでも『自分の思い』を最後まで言い切った。
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わたしにとって、父はずっと『怖い人』だった。
「言うのは2回まで。3回目にはどうなるかわからんからな。」
「そんなことも知らないのか?」
"怒らせてはいけない"
"失敗してはいけない"
常にそう思わせる存在だった。
小学生の時、きょうだいでテレビのチャンネルを争っていた際、
仕事から帰ってきた父が無言でテレビをその場から引きちぎり、
大きなガラス窓を開けて庭へ投げつけて捨てたこと。
しなければ怒られるので、
嫌々ながら畳まずに溜まった洗濯物の山を片付け始めると、
「どうして○○さんの娘たちはできるのに、うちの子はできないんだ。」
「この前は靴下がどちらも右だった。」
とヒステリック気味に言われたこと。
(誰も畳み方すら教えていないのに、
10本以上ある踵つき五本指ソックスを仕分けるのは小学生には至難の業だぜ。笑)
中学生の頃にお風呂掃除をしていたら、
「俺は風呂に浸かった時、
浴槽内の角まで洗えているか全て触って確認しているから。」
と洗っている最中に言われたこと。
夫婦喧嘩をやめてほしくて言葉を発したら、
「こどもは黙ってろ!」
とドラマのワンシーンのようにコップを壁に投げつけ、壁に穴が空いたこと。
(のちに母にこのことを話すと、そんな場面があったことすら忘れていたが。)
物理的に頬や頭を叩かれたのは2度しかない。
でも、言葉や行動ではたくさん叩かれてきたと感じる。
そんな父のほかにも暴力的な男性と小~中学生の間に多く接したおかげで、
わたしは怒る男性が怖い。
声に出さずともピリピリしたオーラを発し始めた瞬時、無駄に察知できる。
おかげで仕事をしていた時は、男性上司たちからびっくりするほど気に入られていた。
なぜなら、怒られるのが怖いのと同時に認められたいという気持ちが常にあるため、
バカみたいに仕事をこなし、常に気を遣ってたち振る舞い、
彼らの怒りが燻っている時は身を挺して消火にあたるため、
びっくりするほど使い勝手がよかったのだろう。完全なるDVの餌食になるタイプだ。
その時は気づいていないが今となっては、
ネガティブの土台はこういう時に発動するのだなと嫌でも理解できる体験となった。
だからこそ、
イライラしている父に意見を言うことで、
言葉は悪いが父を利用させてもらい自分を知るチャンスに変える。
1番怖くて、1番愛してほしい、そんな対象がこんな近くにいるのだ。
使わない手などない。
もちろん、似たようなネガティブをもっている人に簡単にオススメはしない。
自分と相手の段階を見極めないと、返り討ちに遭うのがオチだからだ。
今回も自分のネガティブを認めた上で行動に移したけれど、
身体は素直に反応するので1人になったら涙は出るし疲れて寝てしまうほどだ。
心身のバランスをとるのに1時間ぐらいかかったが、
そのあとは自分も父も責めずに『できた』ことだけを受け取り、
特に悩み続けることもなかった。ちゃんと自分を "発散" できた証拠かもね。
わたしはネガティブを手放すうえでのラスボスは親だと思っているからこそ、
タイミングを見極めながら常にチャレンジし続け問題集のように利用し続けている。
【威圧されても萎縮せずに、自分の言いたいことを言う。】
(自分のエネルギーを引かない)
別にマウントをとる必要ために言うのでもなく、攻撃するために言うのでもない。
ただ、言う。のだ。
無価値感や罪悪感などのネガティブを抱えてきた人たちにとって、
親や身近な人たちに言いたいことが言えなかったことは寧ろ普通の話だろう。
逆に言えば、
そんな近くにいる人たちにさえ本心を言えないのに、他の誰に言えるのだろうか。
そりゃぁ、その後の人間関係を築くのにも苦労するはずだと頷ける。
でも、そのカラクリに気づいたあとは自分で修正&構築するしかないんだよね。
怖いけれど勇気を出して言ってみる。やってみる。
ダメだと思っていることを敢えてする。
わかりやすく言えば、
『嫌われていい』ことを自分に許す。
『こいつダメだなって思われてもいい』ことを自分に許す。
自分を許して認めるのは自分の役目なので、
そもそも相手に許しをもらったり認めてもらったりする反応に期待しない。
そのためには、自分を条件なしで愛すること。
自分だけは自分の味方でいることを徹底すること。
その土台を時間をかけてゆっくりゆっくり創りながらチャレンジしていく。
『あ、前よりも楽になってきた。』
『あ、前だったら絶対こんなことできなかったのに、できた。』
と思えることが増えてくる。
ゴールはわからない。
でも、やる。
自分を許して楽にして、最期まで生き抜けるようにする。
だから、やる。
その作業を必死でこなしている最中なので、
『こういう体験ができるのも父のおかげだ』
などと深く感謝するにはまだ若干の抵抗もある。
(まァ、抵抗があるってことは、
自分を許していない部分があるってことだと思うけれど。笑)
ただ、そんな今でもわかっていることはあって、
それは必ず最期には全てにおいて感謝しかないだろうなってこと。
もちろん父のみならず。全てに対して感謝しかないと思っている。
そんな自分だけのゴールを心の奥深くで知っているからこそ、
持っているネガティブすらも存分に面白がって、
これからもわたしらしく全力で自分を生きられたらと思う。
最後に父へ愛のメッセージ。
わたしはお父さんの鏡です。
お父さんはわたしの鏡です。
お互い変化し続けながら、切磋琢磨してこれからも愛の勉強していきませう~。笑