~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

名前は『ガー子』

小さい頃から一緒だったぬいぐるみとお別れをした。

 

名前は『ガー子』。

 

ガー子は20㌢あるかないかの白い色のアヒルで、くちばしと足がピンク色。

…のはずだが、くちばしの半分は黒く変色している。

 

可哀想な見た目になってしまった原因は、

わたしが子どもの頃にガー子のくちばしをチュッチュと吸っていたから。

 

わたしは指しゃぶりがやめられなくて親指にタコができていた。

母から指しゃぶりをやめるよう言われていたが、できなかったのだろう、

ガー子のくちばしを代用して指しゃぶりの欲求を何とか凌いでいた。

 

一緒に寝たり遊んだり。

 

そろそろ中学生だという時期に一度手放そうと思ったこともあったけれど、

とてもじゃないけど愛着がありすぎて無理だった。

 

そんな仲のガー子は社会人になってもクローゼットには居て、

年に数回申し訳程度でお日様にあてて何とかそこにいる状態だった。

 

目に入るたび気にはなっているけど、どうしたらいいのか…。人形供養?うーん…。

 

そんなことを思いながら数年が経ったある日、たまたま片付け系の動画を観た。

 

こんまりさん(ときめく物を残す片付け術を教えている方)が、

ぬいぐるみの手放し方を話してくださっていたので一応観てみたところ決心がついた。

 

ちょうど明日はゴミ捨ての日というタイミング。

チャンスは今。覚悟を決めてやるっきゃない。

 

袋に入ったガー子をクローゼットから取り出し、ちょこんと手のひらにのせながら、

今までにあったことをたくさんたくさん思い出す。

 

『寂しい時、いつも一緒に居てくれて本当にありがとうね。』

 

『大人になってからはクローゼットで待っててもらう時が多くて、

 太陽にもたくさんあててあげられなかった。ごめんね。』

 

ガー子の目を見ながら話しかけて、ボロボロと涙がこぼれてたまらなかった。

 

言葉にならない時間が流れる中、得意の想像力でガー子が喋り出す。

 

『泣かないで。ユキコを泣かせるためにわたしは居るんじゃないでしょう?笑

  わたしが居なくてもユキコはもう大丈夫。大丈夫だよ。』

 

きっとそんな風に言ってほしかっただけ。とは頭でわかっていても涙だけは止まらず、

ありがとうを何度も言いながら優しく撫でた。

 

『誰かに人形供養をお願いをしようかと思ったけど、

 やっぱりこうやって自分でちゃんと最後のお別れをしかたかったんだ。

 ずっと楽しかったよ。今まで本当にありがとう。お別れね。さようなら。』

 

『うん。お別れね。さようなら。』

 

最後の会話が終わった瞬間、ガー子からスコンと何かが抜けた。

別に、目に見えて魂みたいなのが抜けたわけじゃない。

わたしがガー子に意識を向けないと決めたので、エネルギーが注がれなくなったのだ。

 

決めた瞬間、ガー子は綿と生地で出来たただのアヒルのぬいぐるみになった。

 

正直に言えば、まだ少しは気(エネルギー)がひかれる部分もあるのだが、

さっきとは明らかに違う存在になった。

 

目の前にある光景は何一つ変わっていないのに、自分の意識で現実は創られている。

それをガー子とのやり取りでまざまざと感じた。

 

そういえば、小学生時代の頃に話しかけていた切り株もそうだった。

 

『あ、もう切り株には何も居ない。』

 

そう思った時は、自分が意識を向けなくなった時だった。

 

意識を向ける。

それは何かにエネルギーを注ぐこと。

 

自分の人生をどう創っていくのかは、何に意識を向けてどう創るかを選ぶだけ。

 

見えない界隈で言われていることは当たり前すぎて何とも伝えようがないけど、

見えない感覚を重さのような何かでとらえることは本当は可能なんだろうと思う。

 

…とまァ、話が迷宮入りする前に引き上げようね。笑

 

ガー子をぎゅ~っと抱きしめた後、

柔らかいガーゼで優しく優しくガー子の目を隠して、

紙で創ったピンク色の花も一緒に袋へ入れて今日無事にお別れすることができた。

 

最後の最後までわたしに色々と教えてくれた1体のぬいぐるみに心から感謝。

ありがとう。さようなら。

 

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