~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

"現実"の創り方

10月1日。

母が職場に用事があるとのことで、

『これはチャンス☆』と半年ぶりに車を運転した。

 

もちろん、少し運転の練習をしてからの挑戦だ。笑

 

練習コースは、彼岸花で縁取られた田んぼに挟まれる静かな道路。

前を走る見知らぬ軽トラに『焦るなよ』と言われ、ゆっくりとついて行く。

 

黄金色に輝く稲穂と赤紅色の彼岸花

この瞬間を忘れまいと開け放っている車の窓から、

色を纏った薫りを目一杯吸い込んでおいた。

 

MT車らしく坂道発進もコースに取り入れ、サイドブレーキ要らずの華麗な発進。

2年越しに運転した時も感じたことだけれど、身体はちゃんと覚えている。

身体というよりは ”無意識” かもだけれど、毎回ありがたい不思議を享受する。

 

わたしの身体(と多少の運転技術)を心配しながらも応援する母を車に乗せ、

無事に母の職場へと到着し用事も済ませることができた。

 

出かけたついでに買い物をしていた時、

いつもと違う視点で周りの人を観ている自分に気づいた。

 

店内でベビーカーに乗る1歳半ぐらいの女の子に目をやると、

丸顔の大人気キャラクターの商品を顔の正面に両手でピンと掲げ、

まるで恋する乙女のように恍惚の表情を浮かべながら、

次の瞬間には桃色の吐息も出そうな具合でうっとりと魅入ってるではないか。

 

夕方の慌ただしい惣菜売り場で圧倒的な幸せに浸る様子を見て、

 

『この子は今、わたしが観る "現実" にはおらず、この子だけの "現実" にいる。』

 

と思った。

もちろん、それを感じたわたしも自分だけの "現実" にいるのだが。笑

 

同じ場所に居ても、感じていることや見ているものが違うということは、

体験そのものが全て違うことを意味している。

小さな彼女が見せてくれた世界はまさにそれだな。と感じたのだ。

 

自分だけの感覚を意識して楽しむことで、

相手だけがもつ感覚と体験もより躍動感をもって視界へと飛び込んでくる。

 

父親の手を引っ張りながら、

『お父さんコレなにかな?お父さん見て!ここに1つしかないよ!なんでだろう?』

と、目の前の不思議な世界を大冒険している男の子。

 

お気に入りの商品を見つけたのか、

『うわ!ガチか…!…ガチでヤベー!』

と、アイスケースを目の前にした舞台で感動を表現する男子学生トリオの1人。

 

その人だけの物語が今この瞬間紡がれている。

それが何だか自分のことみたいに嬉しくて買い物の終盤はニヤニヤしてしまった。

 

ベビーカーの彼女、大冒険中の勇者、舞台役者の彼にわたしの存在を尋ねても、

『そんなニヤニヤした顔の人とは会いませんでしたよ?』

と言うはずだ。

 

なぜなら彼らはわたしとは違う "現実" を創って楽しんでいたのだから。

 

そしてわたしも、彼らとは違う "現実" を創って楽しむことができた。

 

そのきっかけをくれた彼らへの感謝を今の "現実" から贈り届けると共に、

全てのスタートを創ったわたし自身に感謝だなぁと綴りながらコーヒーを飲む。

 

外はまだ暑いのでアイスコーヒーの現実がちょうどよく、心地よい。