久しぶりに気持ちがモヤモヤして暴れたくなった!
とはいえ、実際に暴れたことはないけどね。笑
生理前というのもあってかストレスに拍車がかかったのだろう。
ザイアク感やらゼツボー感やらが品揃え豊富に勢ぞろい!
以前だったらソレらを大人買いして見事に墓穴を掘るところだが、
今回は違いの分かる面白い体験をした。 ので覚え書き程度に書く。
ゼツボー感を押し売りされて泣きに入った瞬間にバランサーが登場したのだ。
感覚的な話なので『誰だよ』って感じだろうけれど、
ここで言うバランサーとはただの『意識』だ。
バランサーは登場して言う。
『わたしは観ている(ゼツボーを煽るソレとユキコ自身を)』
『わたしは起きている』
『覚悟して伝えよ』
最後の覚悟して伝えよっていうのは、
ユキコにとって不要なものを記憶を使って作り煽るならば。的な感じ。
その後も、ゼツボー感をこしらえるソレを静かに観ているだけだ。
否定もしない。戦いもしない。
ただ ”観ている”。
まだ諦めずにトリガーを探すソレさえもバランサーはただ観ている。
2~3度観ているだけを繰り返したのち、
ソレは鳴りをひそめて辺りはびっくりするほど静かになった。
”本当はなにもありませんでした”
というマジックのタネ明かしか、
出来すぎたデモンストレーションのようにそれはそれは見事だった。
もちろん、さっきまで痛烈に感じていたゼツボー感もさらりと消える。
まるで役を熱心に演じていたシーンでカットの声がかかった感じ。
監督のようなバランサー視点に居ると、ソレが繰り出す序章にも気づく。
冷静に観ることができるようになるので『それで?』と微笑む余裕もあるほど。
『自分を責め続ける自分だと思っていた自分(ソレ)にキレた』ことがある人のなかには、
この感覚がわかる人がいるのかもしれない。
けれど、受け取る感覚はそれぞれ違うので話は合わなくて当然だね。笑
おかげで暴れることなく落ち着きました。
ついでに夜中の3時にお団子を食べました。美味しかった。
ソレは敵対するものでも存在するものでもなく、
自身が手放すものを教えるためのデトックスアラームなのだな。
無意識的から意識的へ。コツコツゆっくり。
自分観察はまだまだつづく。