流行の風邪を使った恐れ効果と周りからの圧で、身近な人たちが諦めモードだ。
「協調性をもたないといけないから。」
「打たずに罹ったら叩かれるから。」
「本当は打ちたくないんだけどね。」
「検査を受けた。」
それぞれが決めることだから良いも悪いも何もない。
ただ唯一、気になることは、
自分で選択肢を探して選び、本当に自分で決めたことなのか?だけ。
『本当は打ちたくない』が本心なんじゃないの?
仕事がなくなること、お金がなくなること、周囲からハブられること、
『生きるためにはしょうがない』って他の道を閉ざし、自ら諦めを選んでない?
『そんなこと言ったって、ひとりではどうにもできないよ。』
って思ってるひとり1人が、
『本当は打ちたくない』を表現し始めたらどうなると思う?
『戦争に行け!』って言われた大勢の人たちがひとり1人、
『いいえ、わたしは戦争には行きません。』って言いはじめてごらんよ。
戦争なんて起こしたくても起こせなくなるよ。
『国のために命を捧げられないなんて非国民だ!』と言われたあの時代の応用編が今。
自分の本当の気持ちに気づいているなら、それを大切にせずに誰が大切にするんだい。
ちょうど1年前ぐらいに物語を書いたけど、今まさにその分岐点。
自分で決める覚悟の後押しに少しでもなったらいいので、
厚労省の資料を抜粋して載せておくね。(リンクも下に貼っとく)
※ 赤線はわたしが引いてます。
選択したことに正解も不正解も何もない。
だけど、
自分が『おかしい』と思うことがあるなら、『イヤだ』と思うことがあるなら、
自分を生きる権利を易々と誰かに手渡しちゃダメだよ。
ちょうど1年前に書いた物語▼
funfunhappiness.hatenablog.com
(参考)