~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

物語そのものを体験したいと思った

バッテリーあがりの常連である愛車の暖機運転をしながらブログを書いている。

 

今どきの車たちは暖機運転などしなくてもいいらしいけど、わたしの愛車はカセットテープしか聞けない(しかもめでたく故障済)という伝統構造な上にほぼ毎日放電三昧なので、冬なら3日に1回ぐらいはエンジンをかけないと拗ねてさっさと冬眠し始める。

 

ここ最近は海や山を越えながら隣町までブイブイいわせている(病院通い)ので少しは充電ができていると信じたいけど、いざ!という時に寝られると怖いのでやっぱり暖機運転は欠かせない。(愛車と同じく愛猫が拗ねないように撫でていたらここまで書くのに無事30分かかった。暖機運転のあいだにブログを書き終わるつもりが…。オカシイナ)

 

毎日は地味な試行錯誤で溢れている。

 

洗濯物を干すときは冬特有の厚手なやつらがどうやったらより早く乾くか…と干す位置を素早く決めながら干してみたり、皿洗いのときは糸底(高台)に潜んだ水溜まりがどうやったら早く蒸発してくれるか…と、皿と皿との位置を少し空けながら逆テトリスを意識して食器カゴへ並べてみたり。

 

だからといって誰かが干してくれたり誰かが洗ってくれたりしたときはどうでもいい。『干してくれて、洗ってくれてありがとう。』なだけ。自分のなかのゲーム感覚が試行錯誤な行動をとらせるだけであってそこに正解も何もないからだ。

 

そんな地味な試行錯誤がここ(現実)の醍醐味だよなァ。などと思えるのは、夢の中で意識的になることが多いからだと思う。

 

夢の中で意識的になった体験が何度かあると、現実も夢見心地になる。それは別に、地に足がついていない感じではなくて、逆に今だけの体験を目いっぱい味わってやろうと思える感じになる。なぜならここで体験する過程は、今だけしか体験できないとわかるようになるからだ。

 

意識的な夢のなかでは物事を動かそうとしてもそれは瞬時に叶い、瞬時に終わってしまう。洗濯物を干そうと思った瞬間にはもう目の前に干し終わった洗濯物が出てくるだけだし、皿を洗おうと思った瞬間にはもう食器カゴに洗い終わった皿が並ぶだけ。

 

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あれこれと試行錯誤をする過程がなく、望みと結果が瞬時に手に入る。叶う。現れる。

それはつまり、自分たちが言うところの "物語" がないということだ。

 

欲しいものが手に入るまでの過程を楽しみにここ(現実)きた。とも言えるけど、どちらかといえば物語そのものを体験したいと思ったからきた。というほうが感覚的には近いんじゃないかな。と思う。

 

だから、生きていること自体が自分だけの物語をすでに味わい、すでに毎瞬達成していることになる。

 

暖機運転の話からこういう話になるって思いながらこの記事を読み始めた人がいないように、物語のページをめくっていくからこその変化を1つ1つここではリアルに体験ができる。自分たちにとっては当たり前だと思って体験できている過程こそが本当は貴重でかけがえのないものだ。

 

あらゆる起承転結、あらゆる試行錯誤、あらゆる物語を創り出しながら今、自分たちは自分たちが望むページに存在して物語を体験している。物語を体験すること自体が人生の目的なら、結果はあくまでもおまけでしかない。

 

ページをめくる面倒くささ、そこのページでの試行錯誤っぷりが、きっと夢(現実)から覚めたら恋しくなる。今、ここにいるうちに思いっきり面倒くささと試行錯誤を満喫できたらいいなって今は思うようになった。

 

今日も毎瞬、あなただけの物語を創り、あなただけの物語の1つ1つを丁寧に体験してくれて本当にありがとう。

 

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