~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

わたしが海なら全ての体験に感謝する

深海も海面も、全部、海だ。

 

深海で泳いでいる生物もいれば、海面近くで泳いでいる生物もいる。

ダイビングを楽しんでいる人もいれば、サーフィンを楽しんでいる人もいる。

 

そこに優劣などなく、全てが最高だ。

 

全てが違う体験で、全てがユニークで、全てが豊かだ。

 

今、真っ暗な深海で恐怖を思う存分体験している人もいる。

今、明るい海面で自分を素直に表現する体験をしている人もいる。

 

わたしが海なら全ての体験に感謝する。

 

色々なところで色々な体験することが全てを豊かにしてくれている。

全てがわたしなら、在り方に正解や間違いなどないとわかる。

 

そして深海と海面、海そのものを体験しているわたしは1つ気づいている。

 

深海に潜るためには重りをもつという手間がいる。

『死にたい』と思うような体験をするには重りを自分で装着する手間がいる。

その重りがあるからこそ体験できる感動や気づきがあると知っていたからだ。

 

つまり、今、深海に潜れている人は1つ手間が要ることをすでに容易にできている。

自分が深海にいるのだということがわかり、次は海面を体験したいと思うなら、

装着した重りを自分で外していくと自分で決めればいい。

 

自分が無意識に装着した重りもある。

他人はその重りがあることを外側から指摘して教えることはできるけど、重りを外す作業は本人にしかできない。

 

1度も重りをつけたことがない人に重りがある大変さや外し方はわからない。

 

だから、自分の重りを外したいなら重りを外してきた人に聞いたほうがいい。

時間はかかっても確実に楽に外す方法を知っている。

そして、教わった方法を色々と試して自分に合う方法を見つけるのだ。

 

少し話が逸れたけど、

 

深海でしか体験できないこともある。

海面でしか体験できないこともある。

そして、海そのものだと知ったあとに体験できることもある。

 

全部が今ただ在るだけなのだと観念したとき、勝手に重りが外れ、勝手に海に戻る。

 

本当は本当は、全てがシンプルでとてつもなく豊かなのだと気づいたとき、

自分と、自分たちという全てに、晴れ晴れとした本当の自由と感謝を伝えたくなる。

 

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