誰かのために我慢をしても、その我慢は報われない。
その場が穏便に済んだように見えても、自分のなかは決して穏便では済まない。
抑圧した我慢は自然と消えることはない。
誰かのために我慢をしても、その我慢をした代償は誰も払ってくれない。
自分が我慢をした分だけ、誰かにも同じ我慢を強いることになる。
自分で我慢をすると選択したことに気づいて、自分で我慢をやめる選択をするしかない。
その選択が自分を自由にして、
その選択が誰かを自由にして、
その選択が全てを自由にする。
誰かのため。という嘘の我慢は、我慢以外、何も生まない。
誰もいなかったら、何も気にしなかったら、自分は本当はどうしたい?
自分にしか自分の本音はわからない。
自分にしか自分の表現はできない。
誰も自分の代わりはできない。
自分を我慢しない。
自分を生きることを我慢しない。