~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分が自分を怖がってどうするよ?

ここ最近の自分との合言葉は『自分が自分を怖がってどうするよ?』だ。

 

自分とうまくコミュニケーションをとれずに生きていくと、自分が自分の味方じゃなくなってしまって、周りの人たちからも同じように攻撃されるんじゃないかと怖くなる。

 

『この世界はなんて恐ろしい世界なんだ…』

『どうせ自分はひとりぼっちだ…』

 

そんな風に感じてはいても要の自分と繋がれていないことが、見えるもの見えないもの関係なく "全て" と繋がれないことだなんて、気づかないときは思いもよらない。

 

けど、自分が自分の本当の気持ちに気づいて徐々に自分のそのままを信頼し始めるようになると、自分の内側と周りがこれでもかというほどにリンクしていると気づく。

 

自分を自分が止めていると周りの全ても止まって見えるし、自分が躍動していると全ての躍動を感じられる。自分が何かを恐れていれば、その恐怖さえいとも簡単に体験できるのだ。

 

究極の自由で見たいものを観て、体験したいことを体験している状態。ただし、気づかないとそれも気づけない。

 

自分を信頼していった先、自分は "全て" であって "全て" の一部でもあって 、"全て" は自分そのものなんだと微かに思えでもしたら、自分と全てとの間にも自分を観ることになるんだなって、これまた微かにだけど確かに感じられる。

 

目の前の何かを自分だと思うというよりは、違う音も、その違う音同士が鳴り合うことで出現する新しい音も、全てに境はないという感じ。

 

わたしはとことん自分という全てとの分離を体験したから、今は自分という全てとの繋がりを体験したいと思ってる。それは、手を握れなくても苦手な人とでも見えなくとも実は関係なくこの瞬間に起きてるし在ること。

 

そんな繋がりを、全てでもある自分を、怖がっているのは何だかちょっと滑稽でもある。

 

そう思ったから、恐怖がどうしようもなくむくむくと膨らんできたら『自分が自分を怖がってどうするよ?』って笑いながら励ますように自分へ言うようにしてる。

 

すると、勝手に分離して怖がっていた恐怖がするする解けて目が覚める。お化け屋敷の屋根を取っ払うみたいにね。

 

毎回気づいて毎回成功するわけじゃないけど、意識してやるとなかなか効果がある感じ。

そんなことをわざわざやってるご苦労な自分もなかなか面白いと思ってる。

 

今日は頼んでいた大きな衣装ケースが届いた。配達のお兄さんとご対面するときも少し恐怖が出そうだったから『自分が自分を怖がってどうするよ?』を明るくかましたよ。

 

おかげで、はみ出ていた冬服が収納できそう。

 

今日も全ての躍動に感謝!

 

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