先日の散歩でヒントをもらった『音を聴く=今を生きてる』という感覚。
これって物理的な音だけの話じゃないよね?ってフと気づいたよ。
感情も音だ。(エネルギーって意味でね。)
エネルギー=波動とか言い出すとややこしくなるかもしれないけど、光も音だし。
ASMRみたく1つの音をどっぷりと堪能することも嫌いではないけど、
まずは日常に溢れる音をキャッチする感覚を意識的に研ぎ澄ませてやろうと今思った。
音に集中するたびに立ち返るというか、今に居られる感じがする。
そんなことを思ったのも昨日の真夜中、良くも悪くも驚いたことがあったから。
3時過ぎに布団に入って寝たんだけど、
5時半ぐらいに愛猫が布団の上でげっこ(嘔吐)し始めたのよ。
『ちょちょちょちょ!!!ここで!?!?まじかよーーー!!!』
なんて思ってる間に、
この前洗ったばかりの掛け布団カバーを通り越して布団にべっちゃり。
布団を降りた愛猫のげっこは続き、
寝起きのわたしは動けず第2弾はカーペットにべちゃり。
『ああーー!!もう!!!!!』
寝起きの混乱する頭で電気をつけるが先か眼鏡をかけるが先か、もう、闇夜のカオス。
このシチュエーション自体も驚くことではあるのかもしれないけど、
本題はげっこ掃除を終えてから、もう一度布団で寝ようとした時のこと。
わたしが掃除をしてる間、構ってもらえなかった愛猫は甘えたくて鳴き続ける。
いつもなら「お腹大丈夫?君も大変ねぇ。」などと言いながら撫でるのだが、
昨晩はイライラが止まらなくてキレそうになってる自分を確と感じた。
『ふざけるな!もういい加減にしてよ!!』っていう怒りを強烈に感じて、
壁でも殴ってやろうかってぐらいのエネルギーで身体に力が入ってる。
『あ、わたし今すごい怒ってるな。』
そう思うと同時に気づいてしまった。
『あ…、わたしって、怒りの処理の仕方を知らないんだ。うわァ…まじか…。』
正直、めっちゃくちゃショックだった。
怒りって自分でもわかりやすい感情だから特に問題なく表現できてると思ってたのね。
けど実際は、『感じていないような表現してた』ってのが正解だったみたい。
『そりゃぁそうか…。』とも思ったけどね。
感情の表現をしてこなかったことは自分でも自覚してたから。
ただ、喜怒哀楽の怒は問題なく表現してるつもりだった。
『自分が嫌なことはちゃんと言っているし大丈夫。』ってね。
でも今回は猫相手でようやく気づいた。
『こちらの怒りが通じない(出せない)相手の場合、
どうやって自分の怒りを出して処理してるの?』
その答えが『怒りを感じていないことにする』だった。
しかも、嫌なことはちゃんと言ってるとか言いながら、それも言えるところまで。
わかりやすく言うと相手を怒らせそうになることは言わない。言えない。
…ハイ。
これは、自分で怒りの感情(音)をしっかりとキャッチして、
怒りを認識した上でしっかりと出す練習をする必要があると思いマス。
昨夜の場合は怒りを何かに書き出す気力なんて眠すぎてなかったから、
とりあえずはベッドに横になりながら天井へ向かって文句を言ってみた。
「わたし今めっちゃ怒ってる。ほんといい加減にしてほしい。うるさい。
また掛け布団カバー洗わなきゃいけないじゃん。最悪。寝かせてよ。」
感情をキャッチする力が弱ってるから本当のところはわからないけど、
それらをつらつらとただ言ってみたら少し身体が緩んだ気がしたんだよね。
小さい荷物が降りたような?スコンスコンと1つ1つロックが外れるような?感じ。
怒りは早めに処理したほうがいいってことらしいので、
できる範囲での思いつくインスタント放出をやってみた結果、たぶん少しはよかったのかも。
今回1つ自分にすげーって思ったのが、出来事と怒りをちゃんと切り離してたこと。
文句は天井に。出来事は愛猫との間で起こったけど、今ある怒りは自分のことだから、
そこを線引きして、ただ単に怒り(エネルギー)を言葉にして出したのね。
なので天井に愚痴ったあとは愛猫にありがとうって言っといた。
『君のおかげでまた1つ気づけたよ。ありがとうね~。』って。
こういう認めが素直にできるようになってきたのも、
ここ数年で築いてきた自分への信頼の賜物だと思う。ほんとありがたい限り。
人の音(エネルギー)をキャッチし続けてきた実績はあるわけだから、
このスキルを自分のほうに使えばけっこういい仕事すると思うんだよね。
そんなわけで、耳を澄ませながら自分の音をもっと丁寧に観察してみまふ。
認めるものは認めて出すものは出して参ろう。
…
酒を飲みながらにしては意外とまとまった記事になった気がする。笑
が、いつの間にか丑三つ時だった。はよ寝よzz