最近、面白いことを思いついたので、軽いノリでやってることがある。
何をやってるかといえば、「自分への祈り」。
なんだろうね。この「祈り」ってフレーズが出ると途端に胡散臭くなる感じ笑
まァそこは一旦置いといて。
祈るようになったきっかけは、先月亡くなった母方の祖母。
初七日や二七日、三七日と、場所は離れていても亡くなった後の節目はどんどん訪れる。だからといって別に自分が寺へ出向くわけでもなく、仏壇に手を合わせるわけでもない。(わたしは家の仏壇にも特別何かない限り手を合わせない)
じゃあ何ができるかと言えば、思い出したときに「祈る」ぐらいなもん。
母方の祖母を筆頭に、ここ数年の間に身体を脱いだ人たちへ布団の中から伝える。
「ホッとするところに居られますように」
「たくさんの愛に包まれますように」
そうやって静かに伝え続けてたんだけど、途中でふと気づいたのよね。
「てか、自分にはこんな風に今まで一度も祈ったことがないな。」って。
他人へ祈る、もしくは自分のことであっても昔、神社とかで「健康でいられますように」とか「1年無事に過ごせますように」とか、とりあえず当たり障りのないことばかりを言って、しかも全部、「今」ってより「とりあえず続くであろう未来」で「不安」が起こらないための願いしか祈ったことがなかった。
「今」の自分がどんな状態になっていたいか?どうなっていてほしいか?
もし、自分をずっと見守ってる応援団がいるとしたら?
もっともっと「今」にフォーカスして、応援団がいると想像したらこう想った。
「ゆきこがもっと幸せを感じられますように!」
「ゆきこがもっと歓びに包まれますように!」
「ゆきこが安心して自分の人生を生きられますように!」
「ゆきこが自分のパワーに気づいて堂々と生きられますように!」etc
まー、出てくる出てくる。自分への祈り。自分への想い。
想いってエネルギーだと思ってるから、まずは自分にたんと注ごうと思った。
自分に注いで、自分が満たされて、満杯になったら注ぎたい誰かへも注ぐ。
心のことをやってると「まずは自分」って話がよく出てくるんだけど、物質面である行動へ辿り着くためにも「自分がどう在りたいか?」に気づく必要があると思う。
わたしは自分がどんなところに居ても「安心」していたい。
頭が「不安だー!」と叫ぶ場所でも、不安や恐怖の在りかを探して安心させたい。
「わたしは(不安)という感情を感じている。
それが必要だとわたし自身が信じて選んだから。」
これはバシャールが伝えていたんだけど、自分の状態に気づいて理解することで自分へパワーを戻すことができる言葉だと思う。
( )の部分はその時々の状態によって違うものを入れてOK。どんな感情であっても、「自分が信じて選んでいる」と意識することで自分を冷静に観ることができるし、自分が選んでいる(決めている)という力強さを感じられる。
自分の感情(状態)に気づくって本当に大事。
気づかないと自分が望む変化すら起こせないからね。
安心感を与える方法は色々あると思うけど、今回思いついた自分への祈り、自分への想いは、自分を満たすと同時に誰かをも満たす手段の1つだと思う。
「自分の存在」「自分が愛されること」を自分で許可できないとき、自分へ安心感を与えることなんてできないし、誰かを本気で応援することもできないと思う。まずは自分から。
満たされていい。安心していい。愛されていい。
いつまでこの自分への祈り☆ブームが続くかわからないけど、ホッと心が開く感じがするからしばらく続けてみようかな。
毎瞬、自分と皆が大きな愛に包まれますように!