大丈夫、大丈夫。そんな時もある。
後悔や罪悪感を強く感じそうになる出来事だって、
1つ1つ良しとしていかなきゃ進めない。どんな体験も生きるための糧にするんだ。
今日は母と会話中に母が泣き出してしまって、
目の前のことをうまく処理できず、1年ちょっとぶりにまたパニックになった。
詳しくは端折るけど、どうもわたしはHSPとHSSの気質を併せ持っているようで、
好奇心はめちゃくちゃあるけどめちゃくちゃ考え過ぎて疲れやすい生き物なのでは?
という可能性を見つけた。
どおりで行動的になったのちに体調を崩すことが多いとは思うし、
だからといって好奇心は山のようにあるので新しい視点を得ることはやめない。
人と会話をするのもその一環だが、会話ののちに自分を内観するほうがメインだ。
このブログもそういう立ち位置なんだと思う。振り返りをしながら内観をする感じ。
今日の出来事に関しても、HSPや過剰同調性という気質や状態の話を丸1日かけて説明をするという狂気を発揮した自分にも反省の点は山ほどある。
しかも、見えない感覚の説明をする&自分の頭のなかが忙しすぎて、
『こんな説明じゃわかりにくいかもなァ…(;´Д`)』という気持ちが、
「わかるかなァ…。」という言葉になって出続けてしまった。
その言葉を永遠聞かされた母は、
『自分の理解力が足りないことを指摘されている』と勘違いして、
「わかる?わからない?って… もう、わからないよ!」と泣きだしてしまった。
この言葉のすれ違いについてはその後にすぐ話し合って互いに理解できたけど、
言葉の使い方(発し方)には気をつけないとなァと思ったね。
自分の頭が追いつかずについつい言葉をそのまま放出してしまう。
会話の途中で「ちょっと待ってよ。」と言葉を発してしまうことも多いのだけど、
これは『会話を中断するよ(話さないで)』という意味ではなく、
ただ単に混線している自分の頭から言葉を選ぶから『ちょっと待って』だったりする。
頭に口が追いつかない。
そんな具合なんだけど、自分の状態なんて相手にわかるはずはないので説明が必要。
きちんと話さないと伝わらない。当たり前のことだけど繊細気質には難易度も高め。
ここは自分のためにも相手のためにも頑張りたいところだ。
話を少し戻してパニックになった時は案の定、
「本当にごめんね!ごめんなさい!」を泣きながら連呼してた。
自分で自分の存在をもっと認められるようになりたいね。
本当は『自分の存在を謝らなくていい』って頭ではわかってても、
できない時ってたくさんある。
悔しいけど、それも全部含めて色んな自分の状態があるって認めなきゃ次に進めない。
周りへ迷惑も心配もたくさんかけるから、
それがしんどすぎて居なくなりたい時だってある。
内観できるスキルは良くも悪くも自分がよくわかる。
だから自分に辟易して自分を諦めたくなる時だってある。
そんな時もある。
そんな時もあるだけ。
それが全てじゃないってちゃんと知ってるから、どうにかこうにか歩き続けられる。
しっかりと話し合ったあと、
「また話しようね。」
と母は言ってくれた。
こんなありがたいことってない。といつも思うから、いつも話終わりは感謝を伝える。
いつか『そんなこともあったよね~。笑』と母と笑い合えるはず。
どんな自分でも自分。諦めない。( ᐛ )و グッ