今年の年末年始も何事もなく過ぎていくのだろうと呑気に構えていたら、30日の夜に同居猫がまさかの血尿。
どぎつい赤色ではなく淡い赤(ピンク)色。
毎日の尿色チェックはしていたけど、トイレの砂とペットシートに染色が確認できたときは『まじか…』という気持ちで全身が固まった。
なにせ明日は大晦日!というタイミング。
世の中は基本休みモードであって、動物病院も例外ではない。
尿の色には異常があるけど、飲食や動き方には問題がなさそう。
でも今から悪化すれば手が打てない最悪の展開が横に居座っているため、まずは病状の情報を探した。
" 猫 血尿 " →『早めに病院へ行きましょう』『放っておくと云々…』
人間と同じく、怖い情報ばっかりで困る。
『それができたら苦労しないのよ…』と思いながら、とりあえず排尿や飲食の時間をメモったり、砂やシートの写真を撮って記録に徹する。
行動は至って冷静だけど、こういうときほど胸のあたりがゾワゾワして何とも落ち着かない。先の不安ばかりが先行して、地に足どころかエネルギーがついていない感じになる。
居ても立っても居られない気持ちになるなか、わかることが1つだけあった。
今は30日の夜で動物病院も閉まっていて、どうしようもないってことだ。
変化は起きた。
受け入れるしかない。
そして受け入れた状態で、今のわたしに何ができるか?を考えた。
『とりあえず明日どうなっても動けるようにしておこう』と思い、猫が寝付いたタイミングを見計らってお風呂に入り、あとは『わたしが倒れたらいけない』と思い、しっかりと睡眠をとることにした。
きっと、以前のわたしだったら心配が心配を呼んで右往左往するばかりだ。
ネガティブな想像も捗ってスムーズに寝ることもできなかったと思う。
でも、今回はそれができた。
そして、今できることを重ねていくうちに少しポジティブな展開を自然と考えられるようになった。
『このまま血尿が続くのか?悪化するのか?は全くわからないけど、もしかしたら、尿が黄色(通常の色)に戻る可能性だってあるかもしれない。』
ポジティブな展開を望む気持ちはあれど、心底の期待はしない。
とりあえず、今起こっている事がどう転がっても全部受け止める気持ちで瞬間瞬間を過ごし、 "今にいる" ことに徹した。
1回目の血尿から3時間後、2回目も血尿。
この時点で0:15のため、トイレのペットシートを新しいシートに交換してから就寝。
朝方4時半過ぎにふと目が覚めると、猫が丁度3回目の排尿をするところだった。
確認のチャンス。
猫がトイレから立ち去った瞬間に部屋の電気を明るくして、メガネをかけ、ペットシートが入っているトレーを覚悟して引き出す。
尿の色は黄色だった。
全部を受け入れると決めていたくせに、ただの1回の一安心でへなへなと身体の力が抜けた。最悪の展開は起きなさそうな気配に後押しされ、
「あなたの全てを信じようね。
わたしの全てを信じようね。
全てであることそのものを信じようね。」
なんて自分に言い聞かせるように言いながら猫を撫でていたらぽろぽろと涙が出た。
「いつも大きな学びを与えてくれて本当にありがとう。」
安堵に乗せて感謝の気持ちもそのまま伝えた。
1回目の黄色の尿が出たあと、今日の昼・夕方・夜にも黄色の尿を確認できた。
多飲多尿になっていないかのチェックも踏まえ引き続き用心はしながらだけど、無事に猫と家族と一緒に今年も正月を迎えられそうだ。
今年は自分の皮膚トラブルからはじまり、食事や習慣を変えることで心身の変化も多かった年だったけど、クライマックスの変化は自分ではないところに起こった。おかげで、変化する全てを本気で受け止められるかどうか?の最終チェックができた。
どんな変化が起こっても平気な顔をして面白がって飄々としていたい。
だからこそ、猫のおしっこの色1つで感動できるような最高に人間くさい自分をも心から愛していたいと思う。本当に本当に、全てを愛していたいから。
2022年、本当にお疲れさまでした。
2023年も1人ひとりにとって最高の豊かさが実る面白い年となりますように。
多謝。