~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

彼の音

もうすぐ3時だ。

愛猫もベッドに置いているカゴで寝ていて静かだが、

さっきまではわたしの膝の上で15分ほど温まりながら寝ていた。

 

というよりは、

こちらこそ心身共に温まらせてもらった。

 

その動けないついでに目を閉じて瞑想などを試みてみたのだが、

淹れてきて机の上に置いたまま飲むチャンスを逸した飲み物が何度も浮かんできたり、

夕方に観たマイクラのカボチャの映像が何故かチラつくなど、

自分の頭の賑やかさに改めて氣づかされるばかりだった。

 

とはいえ、

膝で鎮座するザ☆自然体の愛猫のおかげか少しは思考が静かになった時もあった。

 

無意識に何かを感じよう、何かを観ようとするわたしの前のめり姿勢は、

瞑想には不要だとつくづく思う。

 

何かを追いかけた瞬間、

それはわたしの意図する範疇でしか捕らえられなくなるからだ。

 

意図しなければ全てを照らす太陽光スケールだったのに、

意図した瞬間に懐中電灯の範囲でしか照らせなくなる。何となくそんな感じだろうか。

何もしなくていいシンプルなことこそ、ややこしく考える人間くささ。いいね。

 

そんなシンプルさを愛猫はもっているなってよく思う。

彼は別に瞑想をしているつもりは微塵もないだろうけれどね。

 

ベッドに横になっていると、愛猫が腕枕を要望してくるので大抵は提供する。

腕に愛猫を乗せながらぼんやりしつつ彼の音をよく聴くことが多い。

それは心音、呼吸音に留まらず、全ての音を聴く。

 

彼の全てから感じる音は、驚くほど繊細で整っていて、なんとも軽い。

これを何と呼ぶのかはさっぱりわからないが、

言葉になおせば波動やらエネルギーやらというそういう音になるのだろう。

 

以前に体験した繋がった時の感覚に、ほんの少しだが似ている。

 

だからかは知らないけれど、

愛猫が目を瞑って何も言わず静かに教えてくれるそんな瞬間には涙が出たりする。

彼にとってはそれも当たり前のことだから、横で泣いてるわたしをただ一瞥するだけだけれどね。笑

 

さて、そんなことを書きながら飲んでいた、

きな粉と黒糖を混ぜたオリジナル飲み物が、だいぶ冷えてきた。

調子にのってきな粉を多めに入れたもんだから喉に抜群のひっかかりを覚えるが、

黒糖の優しい甘さも相まって美味しいのでまァよしとしよう。

 

ついでにもってきたチュロスっぽいパンも食べようかどうしようか悩む3時20分。

 

愛猫はご飯中。

彼のお腹のことを考えて少しずつあげているので、またご飯を足しておかないとだ。

 

食後の彼と少し目を合わせてから食べてくれたことに、

「ありがとうね。」

と御礼を言ったら、またベッドのカゴへとひょいっとジャンプして戻っていった。

眠いのだろう。いつまでも部屋の電気をつけていてごめんね。笑

 

毎日、色々なことが起こるからこそ面白がって、

今、当たり前に在る全てのことにも感謝をしながら笑っていようと思う。

わたしが今できることってたぶん、それぐらいだから。

 

 

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