~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分がそう感じるんだからこれが自分にとっての真実

意味がないことをできる人は自分のことを信頼している人だと思う。

 

わたしは物探しゲームが好きで、家事の合間や気が向いたときにゲームをしている。

何度もクリアをしていくと、レベルがあがって探す物の種類も増え、より楽しくなる。

 

でもゲームをすることに一体何の意味があるのか?と問われれば、特に意味はない。

 

ただ楽しい。

ただ好き。

ただ面白い。

ただそれだけ。

 

よく、好きに理由はなんてない!と言うけど、まさにそれ。自分が楽しくて好きだからそうしているだけ。

 

『いいや!これは面白くなんかない!無駄だ!ほーら、楽しくなくなってきた!』

なんて頭で無理やり思い込もうとしても絶対に覆らない。だって、楽しいものは楽しいから。

 

そんな理由のない自分の感覚を信頼することは、自分を信頼することそのものだと思っている。

自分だけが味わえる自分だけのユニークな感覚は、何とも比べられない自分の大切なコンパス。

 

自分の感覚を信じて動いているときに『意味がない』という考えがわいたのなら、それは自分の考えではなくて、誰かの正解を使って自分の感覚をジャッジしているときだ。

 

それをやっても生産性がない、効率的ではない、何にもならないという誰かの正解を採用して自分の感覚を封印することは、自分への嘘と批判になってしまう。

 

しかもその嘘と批判が繰り返し行われていくと、自分だけの感覚を捉えることがだんだんと難しくなって、自分は一体何が好きで何がしたいのか?などもわからなくなっていく。

 

でも大丈夫。

わからないときは、自分へ少しずつ質問をして選択肢を増やしていけばいい。

例えばこんな感じ。

 

「飲みたいものもわからない…。」

「今、飲みたい?飲みたくない?」

「少し飲みたい気がする。」

「飲むなら、冷たいのがいい?温かいのがいい?」

「温かいのがいいかな。」

「甘いのがいい?さっぱりしたのがいい?」

「さっぱりしたのがいいかな。」

 

という感じで、今自分が感じていることを1つ1つ質問をして引き出してあげながら、自分で選んで自分で決めていいことを何度も練習する。

 

これを繰り返していくと自分の感覚が掴みやすくなるし、その感覚を信頼してだんだんと動けるようになり、いつの間にか分を頼するようになる。

 

そして誰かや何かにとっては意味がないことも、堂々と胸を張ってできるようになる。

『自分がそう感じるんだからこれが自分にとっての真実だ』ってね。

 

わたしは誰かの正解で生きてきた時間が長いから、これからは自分を信頼する生き方がしたいと思っている。

 

『意味がないからやめよう…』と漠然と思いながらやめてきたことが多いからこそ、

『自分にとっては意味がある!だって楽しいもん!』という感覚をしっかりキャッチできて信頼するたびに、自分を生きている充実感と喜びを感じている。

 

自分が心から楽しめることを存分に信じて楽しもう。

その嘘のない感覚のコンパスが、必ず自分を次の体験へと連れて行ってくれるから。

 

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