去年の今頃に書いたブログを確認したら、今と同じようにクソ凹んでて笑った。
春ってなんでこう、死にたくなるんだろうね?(どストレート)
それが魂レベルでの本心ではないともちろんわかっているよ。でも、ネガティブの強い引っ張りに圧倒される季節!それが春。って感じ。
ホルモン、神経、環境、心のあれやこれやとかで色々と原因はあるんだろうけど、
『今年もきたか!』って感じでデスロードと再会してる。
今のところは去年より多少はマシかなぁ。
ちなみにこういうクソ凹みのとき、わたしは死にたいより還りたいって感じになる。
自分のなかにも自分で安心がつくれなくて、周りにも安心感がもてなくて、
どうしようもなくなってここではない違うどこかへ行きたくなる&安心の感覚に還りたくなる。(この『ここではないどこかへ!』が究極に転じて『もう自死するしかない!』って自分を追い込んじゃう感覚になるのもよくわかる。)
どこかへ!というソワソワ感から、意味もなく深夜徘徊でもしてみようかって毎度画策するけど、結局は色々なことを考慮してやめる。(田舎道で暗いし、歩きながら泣けないし、家族が心配するし、愛猫が心配だし、とか言ってね)
でもまぁ、結局1番欲しい安心の感覚って何なの?ってことになると、
やっぱり今にいる感覚なんだよね。それと生きていて大丈夫っていう自分への信頼。
去年のわたしは今にいる感覚をキュウリの輪切りに例えていたけど、瞬間を生きるだけに集中するって結構効く。
あとは自分を責めない。
これがなかなかに難しいけど、責めてる自分すらも責めないほどの"責めない"に徹するのがミソ。
あとは、もし聞いてくれる人がいたら聞いてもらうのも今に戻る手段だと思う。
ちなみにわたしは今回、切羽詰まり過ぎて余裕のない父に話をしてしまい、余計に深手を負った。(父も父なりに一生懸命聞いて&言ってくれているのはわかるんだけど、『俺はわかっている・知っている』タイプなので、基本的に全部ズレているのよね。)
ダメ元で朝少し母と話ができてだいぶ落ち着いたけど、話すタイミングと人は選ばなきゃダメだと改めて思ったわ。
本当は自分で何とかしたいところだけど、無理なときは無理。だからこうやって落ち込んじゃうときは全部を認めてOKしてる。
自分を責めちゃっていい。迷惑かけていい。死にたくなっていい。甘えていい。
こんなんじゃダメだ!!って思ってると余計にしんどいから、こういうときこそ自分に優しく自分のそのままを認めていきたいと思う。
ちなみにこの記事の前半は昨夜、後半は今夜書いたよ。
無理なく。でも、来年の自分がまた覗きにきたとき、『あぁそうだったねw』って笑えるように書き残すことにした。頭があんまり回ってないので読みづらいかも。
色々な変化する思いこそ今だけの貴重な体験だとも感じているから、クソ凹みのときもバランスがとれているときも、マイペースでこれからも歩いていくよ。