~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

子どもが嫌い

『どうせ自分なんて…』にどっぷりと浸かっていたわたしみたいなタイプの人が、『どんな自分もまじで最高!』と心の底から自分を信頼するための必要なエッセンス(過程)は、自分がクソだと思ってる自分の側面との "本当の" 統合だと思う。

 

今日はその練習ができて最高に面白かった。

朝方4時ごろから猫に何度も起こされながら2度寝を試みるも寝付けず、諦めてスマホで動画サイトを観ていたら1本の動画が目に入った。

 

それは、お母さんが赤ちゃんを寝かしつける動画。

 

お母さんが赤ちゃんの背中をとんとんと叩いたり、よちよち歩きで動き出す赤ちゃんを身体で止めながらも頑張って寝かしつけようとするんだけど、お母さんのほうが先に寝てしまう一部始終が映ってた。(お母さんは寝ながらも無意識で赤ちゃんを追ってた。母強し!)

 

いつもは観ないような約5分ほどの短い動画だけど、わたしは2~3分観た段階でスマホを投げたいぐらいめっちゃムカついてた。言葉にはならない腹の底からわきあがるような激しい感覚。でも、こういう体験は初めてじゃない。

 

わたしは子どもの頃から子どもが嫌い。

 

『早く大人にならないと大人は自分をまともに扱ってくれない!』と思ってた子どもだったし、精神的に追い詰められてピークだった頃(ひきこもる前)に2~3歳?だった姪を1度1日預かったときは、何をしても泣き止まない姪をスマホで撮影して姪自身へ見せるという鬼畜っぷりを発揮してたほどだ。

 

当時の言い訳も追加しておくと、姪に少しでも喜んでもらいたくて小さいお弁当を作ったり一緒にお絵描きしたりお菓子を食べながら話を聞いたりと、何とかママ(義姉)がいない不安を忘れさせてあげたい気持ちも同居していたし、そうしていたのは確か。

 

でも、1日の終わりでは圧倒的に『ウザい!』が勝利してた。最後は、玄関で体育座りして姪が泣きながら拗ねてるのがわかってても放置してた。(ちなみに丸1日子どもを預けた義姉からの感謝の言葉は一言もなかった。← 我慢して預かった末路)

 

話を戻すけど、こういう子どもに対する心の状態を心理学的に説明する方法はいくらでもあるし、わたし自身も色々なサイトを巡りに巡って過去の原因や環境、自分の心の状態を何とか把握して何とかしなくてはと数えきれないほど『子どもへの嫌悪(嫉妬)』を自分の問題だと理解して向き合ってきた。

 

でも、1つわかったことは、それがわかったところで変わらない自分がいるってこと。

 

腹の底から突き上げるような怒りを見知らぬ赤ちゃんへ容易く注げる自分に比べ、

『めっちゃ可愛い!』『早く赤ちゃん欲しいなぁ♡』『癒しをありがとうございます』

などと盛り上がる動画のコメント欄。(バランスをとったあと見れた)

 

『なぜ自分はいつもそう思えないんだろう』

『自分は鬼か何かか?女性の前に人間として失格では?』

子どものことで何かイヤな気分になるたび、自分の欠点が浮き彫りになって自分を責めて落ち込む…の繰り返し。

 

『皆みたいな当たり前の感覚をもった人間だったら人生違ってたかもな…』

 

自分を信頼する基盤が作れていないことに気づかないまま、人が怖い、異性が怖い、結婚が怖い、子どもが怖い。自分も自分の味方じゃない…。という最高に怖い世界を創ってきたことに気づいて早7年。自分への信頼を取り戻す生き方へゆっくり変えてきた。

 

でも、今のわたしは赤ちゃんの動画を観てスマホを投げたくなるぐらいムカついてる。

この事実に気づいたときに、自分の子ども嫌い "問題" に対して初めてこう思えた。

 

『そっか。"今のわたしは" そう感じるんだな』って。

 

そう感じている今の自分へ一切のジャッジをせず、ただそう感じてる自分を一旦認めて受け止めた。問題だと感じていることを『問題だ!直さないと!』って反対方向へ無理やりもっていくことも止めた。

 

ネガティブでもない、ポジティブでもない、ゼロ地点のところに自分を置いてあげたら、クソだと思ってる自分の側面との "本当の" 統合が起きた。

 

試しに動画の続きを観てみたら、あれほど言葉にならないほどのムカつきが湧き上がってきていたさっきとは打って変わって、特に何も思うことなく動画を観終えることができた。

 

自分の変化が面白くて、更にもう1度動画を再生して『可愛い!』で溢れているであろう絶対に見たくなかったコメント欄も見ることができた。ハートがたくさん並ぶコメント欄の気持ちに同意は全然できないけど『なるほどー。みんなは"今"そう感じるんだなー。』ってニュートラルに捉えることができた。

 

無理やり今の自分を直さなくても勝手に大丈夫になった。

ついさっきまでスマホを投げようとしていた自分がいたなんてウソみたいだった。

 

逆説的だけど、

『問題だ!問題だ!直そう!直そう!』

としている間は何も変わらないんだと改めてわかった。

 

心理学等の知識をもつことに良いも悪いもないけど、それを道具にして『自分のココが問題だから、自分のココを今すぐ変えなきゃいけない!』なんてやると自分との信頼はいつまで経っても築けないし、問題はいつまでたっても消えないどころかむしろ大きくなる。

 

他のテーマでは出来ていたことも、自分の思い込みやジャッジが強いテーマになると無意識で『問題だ!』と頭から即座に警報が出がち。それに気づいたら、知識も問題も一旦全部脇において今そう感じている自分をそのまま認めてあげると勝手に『どんな自分でも大丈夫!』『どんな自分もまじで最高!』って変わることが確信になってきた。

 

自分のなかに眠るたくさんのネガティブな信念に1つ1つ気づいて包括的な見方をする練習をするのは正直本当に面倒くさい!いちいちしんどいし、願わくばやりたくない!w

 

でも、白黒つけないただの包括的な視点になったときの自分の変化の凄まじさ&楽しさと、繰り返し練習をしていった先に自分の内側のみならず全てとの統合が起きることを知ってるから、わたしのペースで地味にコツコツ頑張っていくとすでに決めてる。

 

たった1つのテーマだけど、面白い気づきと発見ができたから今回も嬉しかった。

自分が観たくない自分ほど本気で抱きしめて、これからも全てを愛していきたい。