~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

目から観るエネルギー

わたしは自分の目が好きだ。

 

視力はすこぶる悪く、コンタクトレンズを重ねている瞳だが、

鏡を覗く度にその瞳の奥をみては "今ここ" の自分を確認する。

 

その姿は、

自分の顔の一部分である目を見ているだけのようだが違う。

 

観ているのは身体的な形や色艶などではなく、

言葉でいうなら"エネルギー"だ。

 

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今日は用事があり、とある知り合いの娘さん(小学生)と会った。

(以前1度会う機会はあったが、お互い顔も覚えていないぐらいの接触だった。)

 

知り合いの方や身近な人から話は聞いていたが、

今回 "たまたま" 会ってみて驚いた。

 

言葉で表すると難しいが、言うなれば、

【エネルギーがストレートに爆発している】感じ。

 

エネルギーの塊と言われる赤ちゃんのクリアさに、

さらに自分が意図するエネルギーを確実にのせて放出しているもんだから、

近くに居るとものすごいエネルギー量を感じる。

 

基本的に "愛" と呼ばれるエネルギーの状態とほぼほぼ同じなんだけれど、プラス、

意図的に、伝えたい、繋がりたい、自由さ、好奇心などをそのまま身体で表現すると、

まるで【とっ散らかった】ような【落ち着きのない】ように見える。

 

でも、エネルギーだけを眺めると本当にクリアで綺麗でただただ膨大。

 

まるで幅広の川全部にエネルギーがすごい勢いで流れている感じなんだよね。

(濁流と言いたいぐらいの勢いだけど濁ってはいないんだ。めっちゃ透明。)

 

溢れて溢れて止まらないワクワクするエネルギーを誰の目も氣にせず、

物質であるたった1つの身体でどうにか表現しようとするものだから、

その行動を表面だけでみると【とりとめのない】ように見える。

 

これに関しては何も問題はなくて、

ただ単にエネルギー変換時の差異が起こっているだけのように感じた。

 

とにかく、こんな意識的でダイレクトなエネルギーを受け取るのは初めてで、

彼女の身体的な行動の意味を考えるよりも、

彼女のエネルギー状態に興味津々のわたし。何回も目を合わせてその奥を観た。

 

いわゆる、

ジョウシキで考えると失礼なことも彼女は構わずするのだが、

『子どもだから』

『こういう性格(体質)だから』

というようなちっぽけで表面的な範疇ではなく、

 

『全てというエネルギーそのものの状態であるからこその彼女だけの表現』

という感じがしたのだ。

 

別に彼女は今 "流行" の発達障害ではない。

 

ちなみに、

わたしはそれらの障害と仮に名前がついたような表現をもっている人たちも、

彼女と同じような状態なのではないかと思っていて、

病気だとは微塵も思っていない。

 

今ある社会の概念とか常識とかルール、制限などをぶっ壊すような在り方を、

平気で笑顔で豊かに表現してくれるおかげで、

目覚めたい人たちを勝手に起こせる人たちだと、これまた勝手にリスペクトしている。

 

物怖じすることなく、在るがままのエネルギーを放出できる人たちが増えることは、

重い概念や無価値感、罪悪感などを色濃くもつ従来の自分たちの意識を変える。

そう思っているんだ。

(誰しもが元々もっているエネルギーの大きさを思い出させてくれる感じ。)

 

そんな自然体の彼女に会ったあと、数時間は身体全体が振動し続けた。

 

もちろん、身体的、思考的な疲れもあっただろうが、

それとも違う揺さぶりのような振動が止まらないのでアウトプットへと移行した次第。

 

感覚の話なのでわかりにくいとは思うんだけど、

きっとこんな感覚を感じている人も多くなっていると思うから、

自分の驚きとアウトプットがてら記事にしてみたよ。

 

新しい月の初めに、面白い体験ができて楽しかった。

次は何が起こるかな?(*´罒`*)