~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

命に浸る

PCのウィルスソフトで一時ソフトやら何やらをお任せで消したら、

白紙のような初期っぽい謎の画面だったりが出るようになってしまって、

いちいち再読み込みで表示させなきゃいけない状態になってしまった。

 

が、壊れてはいないので問題なし。

今まで何度となくPCが壊れる瞬間に立ち会ってきているので、

動くならそれだけでラッキーだと知っている。わたしは運がいい。

 

さて、今宵も今宵で3時7分。

45分ほどあるドキュメンタリーを観ていたらこんな時間だ。

 

なんのドキュメンタリーかと言えば手塚治虫さんのドキュメンタリーを見つけて、

ついつい全部観てしまうことになった。

 

写真でしか見たことがない人がカラーで動いている映像は何とも不思議で、

さらに数年後に死んでしまう前の映像なのかと氣がついた時には、

なんだかもうすごいパワーを出しまくりながら亡くなった方なんだなァと思った。

 

『そういえば、あのキャラクターの名前なんだっけ?』

 

と動画を観終わってから探したところすぐにわかったが、キノコだとは知らなかった。

 

ヒョウタンツギ

 

兄が真似て書く謎のキャラクターを更に真似してよく書いていたことを思い出した。

意外と身近にあったからこそ、ドキュメンタリーを観る氣になったのかもしれない。

 

手塚治虫さんのWikiもザックリとしか見ていないが、こんな文章が目に留まった。

 

ちょっと長いけど載せるね。

 

 

手塚は子供を「未来人」と呼び、以下のように語っている。

 

私は、暗い時代といわれた昭和初期のなかでも、実に恵まれた環境で子ども時代をすごせたと思っています。しかしそれも、青春期には、空襲と窮乏生活によってほとんど失ってしまいました。父は戦争にとられるし、勉強はできず、腹をすかせ、大勢の友人を失いました。空襲に襲われて周囲が火と死体の山となったとき、絶望して、もう世界は終末だと思ったものです。だから戦争の終わった日、空襲の心配がなくなって、いっせいに町の灯(ひ)がパッとついたとき、私は思わずバンザイをし、涙をこぼしました。これは事実です。心の底からうれしかった。平和の幸福を満喫し、生きていてよかったと思いました。これは、当時の日本人のほとんどの感慨だと思います。

もう二度と、戦争なんか起こすまい、もう二度と、武器なんか持つまい、孫子(まごこ)の代までこの体験を伝えよう。あの日、あの時代、生き延びた人々は、だれだってそういう感慨をもったものです。ことに家や家族を失い、また戦争孤児になった子どもたちは、とりわけそう誓ったはずです。 それがいつの間にか風化し形骸化して、またもや政府が、きな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然おとながそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うのです。 それは結局、先に述べたように、子どもに生きるということの喜びと、大切さ、そして生命の尊厳、これを教えるほかないと思うのです。人命だけでなく生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るんだという信念を子どもにうえつける教育、そして子どもの文化はそのうえに成り立つものでなければならない。けっして反戦だの平和だのの政治的のみのお題目では、子どもはついてこない。率先して、生命の尊厳から教えていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。

 

Wikiより抜粋)

 

全ての作品を読んだわけじゃないけれど、

子ども心ながらに命の話を書いている人だなっては思っていた。

 

自分だったらどうか?と考えさせるような、

ドロドロしているような、意味がわからないような世界を行ったり来たり。

そしてピンポイントで主人公ともどもハッとさせられるようなセリフもね。

 

学生の間…といっても多くは小~中学生ぐらいだったと思うけれど、

意味がわからないセリフを何とかわかろうと噛み砕いて読んでいた記憶がある。

 

こんなタイミングにドキュメンタリーなど観なくてもよかったかも知れないのに、

なんだか観てしまうのも何かタイミングあってのことなんだろうと、

せっかくなのでこうやって記録をしている。

 

話は少し変わるが、今日という名の昨日、3つ重なっていた法事も無事に終わった。

やっぱり一昨日のわたしの氣がかりも昨日のわたしがきちっと始末を終えたのだ。

(わたしの準備が遅くて父がイライラしていたけどね。まァそれもしょうがない。)

 

寺の境内に流れる焼香のかおりと読経、そして最高に心地よすぎる風。

 

この空間全体で起こっていることが一体何を意味しているのか、

そんなのさっぱり知らないしどうでもいいはずの小さな甥や姪の顔を見る。

 

『えー。まだ続くのー?つまんない。あー、早く遊びたい。』

 

小さな自分を重ねてそれらの氣持ちを思い出したが、

わたしはわたしの時間を楽しんだ。

そして、彼らにとっての長い修行が終わったあとは「よく頑張ったね。」と伝えた。

 

 

命に浸っていると、全てに限りがあることを本当によく忘れる。

だから、思い出した時にどうしようもなく涙が出る時がある。

寂しいより、悲しいより、今、全てがここにある感謝に涙が止まらないのだ。

 

自分に、自分の口を使って、「ありがとう。」と言えることだって、

今しかできない面白い体験だったりするのだけれど、

恥ずかしいとか、いつでも言えるって思いがち。

 

でも実は、身体がなきゃ、命がなきゃ、何もできない。

そう氣づくことすら、命に浸っていると見事に忘れてしまう。

 

わたしの30年間は生きていて申し訳ないと思い続けた人生だったけれど、

もうこれ以上同じ体験は必要ないし面白くないからね、

ここ数年は『生きていてよかったともっと思う人生にする』と毎瞬命を生きているよ。

 

命を繋いでくれた人たちへは、

立派な法事よりなにより、この命の心意気の方がよっぽど供養だと自負している。

 

そんなこんなで、今在る全ての命にありがとう。

 

今日もわたしはこうやって自分の手でいそいそと生きた証をつけられて、

愛猫の寝息というよりは鼻息の音を聴きながら笑って健やかに当たり前のように命で在れている。

 

命を生きるから、命という大切さがわかる。

そんな命で、これからも在りたい。

 

4時20分。

 

今日は好きなだけ起きて、好きなだけ寝よう。そうしよう。

 

 

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