久しぶりに腹が立った。
昨夜、紙にわざわざ『バナナケーキに使います(たぶん)』と書いてバナナに貼り付けて取っておいた2本のバナナを母に全部食われたー!クソー!ナンデヤー!(´;ω;`)フザケンナー!
新しいバナナ(1房)も別にあったけど、ケーキに使うときは熟した柔らかいバナナのほうがいいから敢えて紙に書いて確保してたのにさァ…。
100歩譲って『(たぶん)なんだからどうせ使わないでしょ?w』とか『わたしが買ってきたんだから指図される筋合いはないわ~♪』とか『熟したほうが食べたかった♡』とかだったらまだ分かる。けど、違ったのよ。
母の理由は、
「(たぶん)ってことは、バナナを残してたら無理して作ろうとするかもしれないから。」
えーと… はい???
いやいや。作るか作らないかなんて、バナナが残っていたときにわたしが決めることでね…。あなたが先に決めることじゃねーのよう!って話だし、だからこそ『使います!』って確定せずに(たぶん)って文言も書いてたのにさ。ハァン…。
そのあたりのことを一通り母には伝えたけど、『こっちは無理をするんじゃないか?ってところまで考えたんだけど?』的な感じでしか言われずにゴメンもなし。チーン
なんで腹が立つかってバナナを取られた云々のところではなく、自分の行き先(未来)を勝手に決められてるところがポイントだね。『あなたのこと(ユキコが自分で決めていくこと)を信頼してません』と言ってコントロールしてるも同然だからなァ。
でね、ここからが本題。
『信頼されていない!』ことにこれだけ腹が立つってことは自分の変化に活かすチャンスでしかない。
『信頼しろよ!』って外側に言いたくなるときは… そう。自分が自分に『信頼しろよ!』って言ってるときなんだよね。外側に求めたいものは自分が欲してるものだからさ。グサッとくるけど『そうだろうなァ』と思えるからしょうがない。
ならば、
『どうしたらもっと自分を信頼できるか?』
『どうしたらもっと大きな流れを信頼できるか?』
そうやって視点を変えていったら、今起こったそんなバナナ⁉(古)なことも込みでとりあえず起こったこと全部を信頼してみようって思えた。
信頼といっても何ともふわっとしてるし信頼してみたところでこれが具体的にどう展開していくか?なんてそんなことはさっぱりわからないけど、たかがバナナの件だろうがそこで感じられた怒りや気づきさえ全部活用して飲み込んで自分の豊かさに変えてやろうって思えたら、もう自分のことにしか興味がなくなった。
で、結果どういうことになるかっていったら母に感謝がわいた。『信頼したい!』って気持ちにさせてくれてありがとう。ってね。
無理やり感謝しようと思ったわけではなく『あ、これも全部自分の豊かさに変えられるじゃーん♪』と自然な流れで思えたから自然な感謝がわいた。んで、ここまでもってこれたら残念ながらもう問題ではなくなっちゃうので当然怒りも消える。
この段階で改めてことの顛末を母へ伝えたらさっきよりも伝わった。「今回の結果のことではなく、最終的にどうするかはユキコが決めるだろうって信頼してもらえると嬉しいな。」って伝えたら、
母が「信頼してないって思うんじゃないか…とも思った。」って言ったから、「うん。一瞬は思ったけど、これは自分の問題だって気づけたからね。ありがとうだよ。」って話せたので気が済んだ。
ちなみに最初、母へ伝えても怒りが収まらなかった瞬間は、自室に戻って建物の隙間から見える青空をイメージをして「ふざけんな!まじボケカス!しね!」ってその青空へ向かってぶつぶつ叫んでたよ。(笑)
これをね、母をイメージしながら叫んじゃうと逆効果で母に依存しちゃう。『母が過ちさえ認めたら自分が楽になるのにィ!』だと、母にわたしの権限を与えちゃうことになって、詰まるところ自分の機嫌は母次第ってことになるからね。それは依存だし面倒くさいことになるからやらない。
まァそういう小さな変化を紡ぎながら思ったことは、
青空は心の友。
人生山あり谷ありバナナあり。だった。(笑)
毎瞬色々起こるけどさ、何でもかんでも面白がってもっともっと自分と全ての豊かさに変えていきたいと思えた出来事になったよ。バナナケーキよりも味わい深いものを味わったんじゃないかな。
ありがとう!ごちそうさま!