ここ最近は深夜3時過ぎに寝て、昼過ぎに起きることが多かったけど、今日は17時までたくさんの夢を見ながらも寝てた。冬の気配のおかげで外はすでに暗くなってた。
『17時かぁ…。今すぐではなくとも、両親が仕事から帰ってきたら灯りのない真っ暗な玄関と干していないカゴに入ったままの冷え切った洗濯物が2人をお出迎えすることになるなァ。』
と、ベッドのなかで展開を掴むと同時に心が少しザワつきはじめた。これはチャンス。自分の内側を観ることにした。
毎度おなじみの罪悪感や無価値観から『何もしていないことを怒られたり呆れられたりするんじゃないか…』という頭のなかの勝手な恐怖はまだあるものの、この手の恐怖はだいぶ薄らいできているようで心がザワつく真の原因とまではいかない。
『じゃぁ、大きな視点から観たらどうかな?』とベッドのなかで原因を感じ取ろうとするもよくわからない。10分ぐらいウーン…となっていた末にふと、
『価値のある生き方をしなければいけないと思ってる?』
と思えた瞬間に心身ともにパッと目が覚めた。
なるほど。
ずーっと寝ているような生活(生き方)には価値がないと思い込んでいるのか。
生きているなら(自分にとっての)意味がある行動をしなければならないし、(自分にとっての)無駄なことして時間を浪費してはいけないという無意識の深い思い込みを改めて見つけた。
コレには意味がある or 意味がない。コレは無駄 or 有益だとジャッジをしながら自分の世界を観てるから苦しくなってたのがザワつきの真の原因だと思った。
頭では『全てが豊か』だとわかっていても本気で自分への許可ができていないと、すぐにこうやって自分を型へとはめて縛ることができるんだから本当に器用だよなァ…。と、毎度感嘆する。
今回17時まで寝てたおかげで人間目線だけの土台がかなりひっくり返った気がした。
『あなたがあなたとして存在をし、呼吸をしているだけでどれだけの豊かさを全てに与えていることか。』
それを本気で思えているときも思えていないときも、全ては豊かさであり面白い体験なんだけど、思えていないときが長く続くとしんどくなるのも確かだね(それも豊かさ∞)。
結局ベッドから起きたのは17時半だったけど、その後は自分史上最高に落ち着いて行動ができた。これもパラドックスだけど、全てに全肯定できちゃうと逆に動けちゃうのよね。
『これはダメ、あれはイイ!』という人間世界的価値観のオモチャを使って遊ぶのも自由だけど『全ては豊かさであり、ただ在るだけだ。』の視点を使って自分を自由に遊ぶほうが今のわたしには合ってるなァと改めて思えた。
朝は起きるもの、昼ご飯は昼に食べるもの、夜は…etc
人間をやってると当たり前のように色々な無意識を持たされていることに気づく。それが悪いというんじゃなくて、握りしめてることに気づいたら選択肢が広がるから遊び方も広がる。
見える世界のことだけで考えるとそうは思えない。でも、本当は隅から隅まで自由だし、自由さそのものだって今からきっと気づいていく人も多いんじゃないかな。面白い時代にいる面白い自分をもっと知っていきたい。
あ、カテゴリー『このブログについて(旧:はじめに)』の内容を先日更新したので興味がある人は覗いてみてね。わたしがブログを書き出すあらすじが載ってます。