~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

そもそもの意識のデカさがやばい

今さ朝の4時前なんだけど、ちょっとねー興奮が収まらなくて。寝るか迷ったけど、このままだとすんなりは眠れなそうだから書くことにしたよ。

 

昨夜ちょっとした罪悪感と無価値観が出たの。無意識で比較モードにストンと入って一瞬悲しくなったけど、すぐさま意識的に踵を返して立ち直れた。でもね、その出るきっかけがすごく小っちゃくて可愛い。

 

動けない父に代わって兄が庭の草刈りをしてくれたんだけど、その地点ではなにも思ってなかった。ただ、夕飯時に珍しくメロンがあってさ、その時に母が一言。

 

「今日はお兄ちゃんが草刈り頑張ってくれたからメロンも分けたよー。」って。

 

でね、それを聞いたわたしは何を思ったか何もせずにメロンを食べることに罪の意識が芽生えたわけ。『わたしは今日何もしてないからメロンなんて食べる資格ない…』って瞬時に罪悪感をもてて無価値観もひしひしと感じられた。

 

もちろん草刈りの報酬とメロンはイコールじゃないし、母もそんなつもりで言ってないことはわかってるのですぐに『ユキコ~!あなたにこそメロンを受け取って欲しいのよ~!♡』とかなんとか心のなかで言いながら自分をちゃんと愛せたのね。

 

で、一通り痛みや安堵の感覚を感じ切ったあとに改めて思ったわけ。『いや、まじですごいな。』って。

 

何がすごいかって、これだけの罪悪感や無価値観を瞬時に感じられるだけの重さと現実を創り出すそもそもの意識のデカさがやばい!!ってなったの。

 

は?何言ってるの?って感じかもしれないけどもう少し付き合って。(笑)

 

自分が1度感じた意識のデカさっていうのが基準なんだけど、その感覚(状態)からここまで無力さを感じられる状態にするってよく考えたら神業過ぎる!って思えたの。

 

全ての源である意識(エネルギー)からすればお茶の子さいさいで容易いのだろうけど、この身体をもった物質的なところから観たときに、この軽さと重さの振り幅というなの制限のなさ自由さに圧倒されるんだよね。

 

物質的なところで例を考えてみたんだけど、マッチョな男性が小さなマシュマロを本気で重く感じられてるって状態と同じかな。それって物質だけで見ると有り得ない状態だけど、意識だとそれとは逆でその重さは容易く創り出せるわけよね。この世界でも催眠術とかで意識を変えればマシュマロも簡単に重く感じられると思う。

 

夜中のテンションでだいぶ興奮が暴走してるから、いよいよ何を言ってるんだ??って思われそうだけど、気にしないwなんせわたしはこの発見だけで1時間ぐらい1人で楽しんでるんだから(笑)

 

意識の拡がりとともに、そこにある豊かさとか制限のなさに核である自分自身を観てるんだよね。だから気づいたときは思わず唸った。あと感嘆のため息。

 

イメージとして出てきたのは超大きな円錐形を逆さまにして、その下にある角の一点にものすごく緻密で集中したエネルギーを流してる感じかな。

 

見えないところのカラクリがわかってるわけじゃないから何とも言えないけど、このパワーを1人ひとりがもってるって考えただけでも圧倒される。そして無力感を感じられてるときはそのパワーを見事に忘れることもできるんだから、何という破壊力のある芸当だろうかって更にまた圧倒される。

 

さ。あれこれ好き勝手書いてたらただいま朝の4時40分でございます。(笑)

面白いよねー。何やってるんだろうwって自分でも思うけど、全体としての自分にも興味津々なのよ。

 

メロンに振り回されるぐらい自分に没頭してるわたしだけど、こういう話に興味がある人たちとブログ以外でもいつか繋がれたら面白いよね。そのときはまたメロンの話もしよう。(笑)

 

お、ちょうどゾロ目の4時44分。そろそろ観念して寝よう。最後までお付き合いありがとう~!

 

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