~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

そう感じられるのはどんな時もこの瞬間だけ

あ、思い出した。

この前、自宅のトイレでふと思ったことを思い出したわ。

 

ご存じの方はご存じだと思うけど2014年の夏ぐらいから2016年の冬ぐらいまで、わたしはザ☆ひきこもりだったの。

 

自分の部屋からも出られないので食事は自室のドアの前まで母が運んできて、さらに親とも誰とも口を利かない。暗黒ど真ん中の2015年ぐらいは罪悪感から食事もほとんど摂らなくなって10㌔近く体重が落ちた。

 

その期間はあまりにキツ過ぎてほとんど記憶がないんだけど、確認したところ2015年の4月末から7月末まで自宅の外装工事が3ヶ月続いた時があってね、その時が本当に地獄だったのよ。

 

昨日の記事どころじゃない自分の正解に自分をガッチリはめ込んでいたおかげで、仕事をせずに家に居る自分が自分で許せなかった。常に役に立っていないと生きていちゃダメだって本気で思ってたのね。

 

そんなネガティブ最高潮の状態だから、家に人がいるなんて思われたくなかった。『こんな真昼間に家でゴロゴロしてるヤツとか有り得ない!』って自分が自分のこと毎瞬責めてたからさ。必死で自分の存在を隠してた。

 

家の外壁だから人の気配と音がずっと聞こえるもんで息をころして常に静かにしてた。基本的にトイレは我慢。作業してる人たちがお昼休憩をするために家から離れた時を見計らって一か八かでしに行ってた。それぐらい本気で怖かったのよ。

 

でさ、2021年の今は家の近くで建築作業が毎日続いていて、何なら家の庭にもたまに作業用のトラックが入るわけ。停めていいですよ~って貸してるから。

 

そういう人の気配が近くにあるのは前と変わらないのに、今の自分は堂々とトイレへ行けてるの。

 

『トイレへ行けてるだけで威張るなww』って感じかもしれないけど、そんな堂々と行ったトイレでふと思ったのよ。

 

『あ… もうあの恐怖は2度と感じられないのか。』って。

 

なんかね不思議なんだけど、恐怖してたあの時期を心の底から愛おしく思えたわけ。あんな怖さを体験する時はもうないなって思った瞬間、すごく大切で貴重な体験に変わった。

 

ここまでくると『恐怖というやつをとことん味わうぞー!w』って超前向きに生まれてきたんじゃないか自分?って思えちゃうよ。ほんと。笑

 

無駄な経験はないなんて言葉はありきたりだけど、たしかにどんな体験も尊いのは事実だと思う。こうやって振り返って感じるのも乙なものだけど、やっぱり味わってるその時が何よりも自分だけのリアルを味わってるよねー!1人ジュラシックパーク並だもん。

 

恐怖がこうやって転換を重ねていけばいくほどに恐怖自体が薄らいでいってしまうのだろうけど、ありがたいことに自分の恐怖は自分でもわからないぐらい山ほどあるから、今後のストック数については何の心配もないや。笑

 

そう感じられるのはどんな時もこの瞬間だけ。そうやって思うことができたら、全ての自分を、瞬間を愛していける気がするよ。

 

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恐怖の創作だって自由自在。それぐらいわたしたちはパワフルね。