~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分の体験を選ぶパワーがある

これは問題だ。と信じることで【問題】を感じられるように、

これは恐怖だ。と信じることで【恐怖】を感じられるようになる。

 

戦争 

食糧危機

経済崩壊

 

病気

地震

地球滅亡

etc…

 

『さぁ、どの恐怖がいいですか?』と、ご丁寧に選択肢を並べられて、何かしらの恐怖を選ぶように促されている。

 

イヤなことを考え続けると、頭のなかも現実もイヤな想像に飲み込まれる体験ができるように、選んだものにエネルギーを注ぐことによって、より深くその恐怖を体験でき、その事象そのものも大きくすることができる。

 

「攻め込まれたら大変だ!だから先手で攻め込むんだ!」

「お金がなくなったら大変だ!だから今のうちに貯めるんだ!」

 

恐怖の思考のまま動くと、もれなく恐怖の体験を回収することになる。

良いも悪いもなく、注いだエネルギーは同じエネルギーのサイズで返ってくるだけだから。

 

それをわかった上で自由に、自分が何を体験するか決めたらいい。

 

恐怖が好きな人は、恐怖を無制限に選んで体験したらいい。

たくさんの恐怖にさいなまれる面白い体験を意図して創ることは容易にできる。

これは嫌味ではなく、刺激的なほうが楽しいと思う人は必ずいるからだ。

 

でも、恐怖を感じたくない人もいる。そんな人は、

「これは問題だ!」「大変だ!」「怖い!」「急がないと!」「どうしよう…!」

と、右往左往している自分へ、まずは声をかけてあげよう。

 

「大丈夫。死ぬときは死ぬから。」と。

 

「いやいや、死にたくない(大変な思いをしたくない)から恐怖なんでしょうが!」

と、言ってくる自分へも、こう言ってあげよう。

 

「うん。そうだよね。でも、必ずいつかは死ぬのよ。」って。

 

…。

 

今、心が静かになった感覚があった人は、この一瞬立ち止まるような感覚を大事にすることができたらいいね。

 

これは、どうせ死ぬんだから諦めなさい。とか、誰かの言いなりになりなさい。ということではなくて、自分にとっての真実を一旦受け入れることで、逆に自分へパワーを戻すパラドックスを使うことをおすすめしてる。

 

真実を受け入れている覚悟があると、今なにを選ぶかは自分にこそ選択権があるのだという力強い自分軸からズレることがない。

 

誰かが押し付けてくるイヤなものをわざわざ選ばなくていいし、誰かが決めた指示に振り回されなくていいし、周りがどうであろうと意に介さないでいられる。なぜなら、『わたしがこの瞬間の体験を決めている』と知っているから。

 

自分がそのとき、1つ1つ選んだものによって自分が体験する内容が決まる。

 

今、自分の人生を通して何を観たいのか?何を感じたいのか?

それを知っているのは自分しかいないから、自分で決める必要がある。

 

ホラーが好きな人はホラー映画を選ばなければ恐怖を体験することはできないし、

笑いが好きな人は笑える映画を選ばなければ笑うという体験はできない。

 

恐怖ものが苦手なのに、わざわざそれを観続ける必要はないし、

さらに、誰かが選んできた映画のなかから選ぶ必要がないことも知ること。

 

自分が観たいと思う好きな映画を選んでいい。

…というより、自分で選ぶからこそ自分の人生(体験)を自分で創れるのだということに気づくことが大事。

 

そこに気づいてから、目の前のあらゆるものを自分でどう扱うかを決めたらいい。

どんな恐怖が並べられているのかを知ることは大切だけど、知ったからといってそれを選ぶ必要はまったくない。

 

食事をしに行ったとき、わざわざ自分の嫌いな料理を選ぶ人はいないのと同じように。

 

自分が望むものがないなら、探せばいい。創ればいい。

それぐらい選択肢なんて無限にあるし無限に創り出せる。

そんな自分のパワフルさに立ち返ってから今の社会を見渡すと、1歩引いた冷静な目で俯瞰できると思うよ。

 

自分にこそ、自分の体験を選ぶパワーがあること。

忘れないでね。