~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

どこまでも、どこまでも、自分を信じて。

前回の凄まじい(笑)タイトルの記事を読んでくれた人たち、ありがとう。

 

有価値感(条件なしで生きていていい。と思える感覚)よりも、

無価値感で生きてきた人たちにとって『死』というのはとても身近な感覚だよね。

 

今この瞬間までは何とか自力で越えてきたけど、

いつこの崖っぷちから『死』へと転落してしまうか?そうなってしまうんじゃないか?

そんな自分でもわからない衝動の恐怖は、

似たような体験をした人でないと理解されないし、それを誰かへ打ち明けるのも怖い。

 

家族内であっても、親しい人であっても、

自分という存在をどう感じているかは個々で違うために、

全く理解ができない(わかりたくてもわからない)領域でもあって、

勇気をもって話したりしても理解されず余計に孤独感を強く感じてしまったりもする。

 

ちなみにわたしの家族や今まで会った友人たちも多くがそうで、

『存在する意味』を考えたり、無価値感からの『死にたい』気持ちを繰り返したり、

『死』そのものについて深く考えずとも生きてこられた人たちだ。

 

自分が無価値感を感じているんだと認識できるまでは、

みんな、自分と同じく生きづらい中で頑張って生きてるのだと本気で思ってたから、

 

「今まで生きてきて、死にたいと思ったことがない。」

 とか、

「生きてる意味とか、自分や誰かが死ぬことについて?考えたことないな~(゚-゚)?」

 

なんて周りが言う度に、

『ええー!?何で考えずに生きてこられるの!?Σ(゚ω゚ノ)ノ』

って、めちゃくちゃ不思議だったんだよね。

 

今は、それらの違いが体験の違い。心の状態の違い。ってわかったから、

その体験がない人に話す時は『理解されない』前提で話だけ聞いてもらうようにしてる。

 

それ以外でどうしても共感してほしい時や慰めてほしい時は、

似たような体験をして乗り越えてきてる人が話す動画等を観て、涙を流して感情を出す。

 

わたしみたく無価値感満載で生きてきた人にとっては、

自分の感情をキャッチし難かったり、

我慢してないようでいつの間にか我慢をしてたりするから、

意識して自分のほうに目を向けたり寄り添ってあげられたりできるといいよね。

 

出てくる感情の全てを肯定しながらわたしが6年間過ごしてみて感じてるのが、

『死にたい』からの復活が早くなったこと。

 

以前だと1~2週間はざらに落ち込んでたのが、段々と短くなっていった。

今回だと1日半ぐらいで絶望から戻ってきた。たぶん最短記録。笑

 

無価値感を認識して手放していくには時間もかかるし、

焦って絶望してしまうこともたくさんある。

けど、その道中で1番大切なのは『自分を責めないこと』だと思ってる。

 

わかってるのに出来ない自分、みんなみたいに動けない自分、迷惑かけてる自分、

挙げればキリがないぐらいたくさんの観たくない自分がいるかもしれないけど、

 

『そんな自分でも生きてていい』

 

もっと言えば、

『そんな自分だからこそ生きてていい!』って、

 

最初は全く思えなくても、どこまでも、どの瞬間でも、

自分を否定せずに責めずにいくのが着実に自分を生きる近道だと体験をして思ってる。

(『あ、自分のこと責めだしてるな!』って気づく練習とやめる練習を繰り返してるよ)

 

 この記事も3日ぐらいかけてゆっくり書いてるんだ。

思い立った時にパーッと書ける時もあるけど、そうじゃないときはそれなりに。

 

そうやって小さなことでも自分のタイミングを大事にすることで自分を大事にしてる。

 

心がぎゅ~っとなったときこそ、そんな自分を大切にぎゅ~っと抱きしめてあげよう。

抱きしめる余裕なんかないときもそんな自分も責めずにいこう。

 

どこまでも、どこまでも、自分を信じて。

 

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