~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

死に取り憑かれたときのわたしの対処法(夜ver.)

なんちゅータイトルですか。笑

 

でも冗談抜きでさ、

死に取り憑かれたときってあらゆる死に方を考えたりあらゆる死に場所を考えたり、

究極の孤独感とともにネガティブロード底抜けにまっしぐらしちゃうじゃない?

 

わたし、昨日の夜が久しぶりにそれでさ。

 

頭の片隅では『この思考の暴走をどうしたらいいんだ…』って思いながらも、

どうしようもできない現状と孤独感に襲われて絶望してたんだよね。

 

お馴染みの夜ど真ん中の布団の中。

 

ひどいイメージにひどい最期、残された人たちのうんたらかんたら。

何百回考えたかわからないあれやこれやを通り過ぎながら、ちょっと閃いた。

 

『この瞬間だけを生きよう』

 

絶妙にポジティブなセリフだけど、思いっきりネガティブ中だからこその最終手段。

 

今ある絶望に、この苦しみが死ぬまで続くんじゃないかっていう更なる絶望が

追い打ちをかけてきているからこそ『この瞬間だけを乗り越える(やり過ごす)』のみ。

 

セリフのイメージとしては時間を、薄く輪切りで瞬間ごとに切ってる感じ。

わたしはキュウリを1枚1枚薄く切ってるイメージで捗った。

 

『この瞬間だけを生きる!』って繰り返し声に出したり頭の中に響かしたりしながら、

同時に足とか手でリズムをとったり貧乏揺すりしたりして、感覚も同時に感じてた。

 

『この瞬間だけを生きる!』

『この瞬間だけを生きる!』

『この瞬間だけを生きる!』

 

っていう具合に、

『この瞬間だけを生きる!』っていう言葉で頭をいっぱいにして、

『この瞬間だけを生きる!』ことに賭ける。

 

瞬間から離れちゃうと(時間という名の人生orキュウリの全体を見ちゃうと)、

孤独感や絶望感にまた引っ張られそうになるから瞬間ごとを全力で生きる。

 

思考の暴走を止めるためにも、

『この瞬間だけを生きる!』を集中して唱えてた。

 

わたしはセリフが途中で長く感じてきたから、

『この瞬間だけ!』

『この瞬間!』

『この瞬間!』

 

『今!』

『今!』

『今!』

って感じにどんどん短縮していった。

 

 5分ぐらい集中してリズムをとりながら唱えてたのかな?

思考の暴走が少し落ち着いてきた。

そのときにフと思ったね。

 

『お経とかってこの作用なんだろうなァ』(宗教を推してるわけではないよ)とか、

『今に居るための手段(意識を戻す為)なら何使っても何でもいいんだろうなァ』って。

 

普段なら難なく制御できるようなことでも、

自分の体調やタイミング次第ではそれがどうしても難しいときってあるよね。

 

全ての体験が豊かさだってわかっていても、意識のことを知っていても、

デスロード中は『今この瞬間にいることだけ』で必死。

でも、『あの瞬間を生き延びた』末に今このブログが書けてる。

  

もちろん乗り越えた先のこの瞬間にだって孤独感はあるし、絶望感もある。

でも、生きてる。

これの繰り返しの絶望感でまたループしちゃう気持ちもわかる。

 

けど、『あの瞬間』を越えて変化した自分が今ここにはいるわけで、

まったく同じ孤独感や絶望感ではないんだよね。

ほんの少し、ほんの少しだけど何かは変わってる。

 

 言葉は悪いけど、そうやって自分を誤魔化してでもいいから、

わたしは自分に違う景色を観させてあげたいんだよね。

 

死に取り憑かれていない時の本音はいつだって変わらない。

けど、どうしても死にのめり込んで苦しい時は、

 

この瞬間だけ、を生きよう。

 

この瞬間だけ。

 

この瞬間だけ。に賭けよう。

 

死にたくなっても大丈夫。

孤独感を抱えていても、孤独感をわかる人たちは目の前に居なくてもちゃんといる。

そういう意味では本当の孤独はないのかもって思ったりもする。

 

似たような人たち、今日もこの瞬間まで生きていてくれてありがとう。

これを言えるまで生きていてくれた自分もありがとう。

焦らずに、この瞬間を生きていこう。

 

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命を刻む。瞬間を生きる。