わたしにしては珍しく3日間ほど料理(夕食のみ)を作り続けている。
たぶん年に2回ほどある料理を作ってみたくなる期間だと思うけど、
何だかんだで毎日に変化が出るし、
冷蔵庫の中が片付いたり、作る前後で洗い物も片付いたりするのでスッキリ感はある。
あとは、
仕事をして帰ってくる両親や介護中の祖母のちょっとした助けにはなってるのかな。
でも結局、自分だって食べるわけだから誰かの為にってより自分の為だね。
野菜をたっぷり入れた鍋から灰汁を取ってる時も自分の内観をしてるみたいだった。
不要なものを確認しては取る。の繰り返し。
せっかくだから、本物の要らない灰汁の味も確認しておいた。
やたら口の中に長く居残る感じは、無価値感も似たようなもんだ。
でも、同じ灰汁でも料理になる灰汁だってあってね、
こちらの地方では季節のお菓子で『あくまき』ってやつがある。
もち米を木灰の灰汁に浸すところから作るんだ。
出来上がりの見た目はかなり不思議な状態だけど食べると何ともいえない味わいがある。
他のものでは同じ味は堪能できないから、あくまきを食べると季節を感じる。
それぐらい灰汁って良くも悪くもパンチや味があって面白い。
灰汁との付き合い方から自分を少し学んだ気がする。
明日は何を作るんだろう。何を食べるんだろう。それとも、作らないのかな。
結果はどうでもいいけど、
そうやって明日という未来に思いを馳せることができてることだけで本当に幸せだ。
この体験もまた、人生の灰汁のおかげかな。