~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

このゲームの醍醐味

一瞬の睡魔に期待をして、いつもより早くベッドへ潜り込んだものの昼夜逆転の流れには逆らえず、2時間経っても寝付けなかったので2時間前にシャットダウンしたパソコンも道連れにした。

 

最近ハマっているゲームがある。だいぶ昔にもハマっていた【もの探し】系のゲームだ。ごちゃついた背景の上にアイテムがランダムに点在していて、そのなかから時間内に決められたアイテムを探し出すゲーム。

 

ゲームの序盤は時間が有り余るほどに簡単だけど、難易度があがると時間が足りず『あと1個が見つからない~!!』と最後の最後で諦めることも多くなる。ゲームの回数も無制限にできるわけじゃないから、なるべく1発で成功したくなる。

 

部屋の片隅から猫の寝息が聞こえるなかゲームをはじめ、4つのアイテムがなかなか見つけられない状況になった。

 

その瞬間、『最後の最後で1個が見つからなくて失敗するぐらいだったら、今から便利な道具を使って4つとも一気に見つけちゃおうかな。』って気持ちがわいた。

 

課金などはしていないけどたまにもらえる便利な道具。使えば成功する確率がぐんとあがるし、もちろん今まで何度も使ってきたから使うことには抵抗なんてないんだけど、今回は道具を使う前に『ん?』ってなった。

 

 "ものを探すこと" 自体がこのゲームの醍醐味だよね?

 

どうやら自分はいつの間にかゲームを楽しむことより、失敗しないことのほうが大事になっていたみたい。そこに気づいたところから内観がはじまった。

 

道具は使わずに画面を見ながら地道にアイテムを探すなか、自分で自分を諦めていたからこそ道具を使おうとしていたことも気づいた。

 

『どうせまた最後の1個が見つからなくて失敗するんだ。』と決めつけていたからこそ、『さっさと諦めて道具を使ってしまったほうがいい。』ってね。

 

そんな自分と寄り添いながら、

『それは最後までやってみなくちゃわからないから、とりあえず最後までやってみよう?見つからなくてもいいし。でも全部見つけちゃったらブログに書こう?(笑)』

 

なんて応援をしながら諦めずに探し続けた結果は、ご覧の通り!°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°

 

でね、『あーこれ、人生も同じじゃん。』って思ったよ。

最後までやってみなくちゃわからないことってたくさんあるけど、失敗が続いて自分に自信がなくなっちゃったら『もう失敗したくない』ってなることが自分はこれまでも多かった。

 

無価値観や罪悪感を感じてると特に1つの失敗がイコール自分の価値のなさに直結しちゃうから自分のなかで大きな死活問題になっちゃうしね。より恐怖が強い。そんな自分の思考癖がゲームにも存分に発揮されてたや。

 

だから望む結果だけを求めるようになって、過程を楽しめなくなっちゃうんだね。結果よりも変化していく過程が自分にとっては1番わくわくできて面白いはずなのに、目の前の完璧さを追い求めすぎると結果も過程も味わえなくなる。

 

自分が【もの探し】ゲームを好きなのは、きっと色々な自分の欠片を探したい気持ちとリンクしてるからだと思う。だからゲームも現実も探しものが見つかったときは『よっしゃー!!』って素直にめっちゃ嬉しいし達成感も感じられる。今回もそれを感じられた。

 

本当の喜びは、いくら便利な道具があっても感じられることはない。

自分でやるからこそ、その想いに見合った感動を全身全霊で感じられるんだなァと改めて気づく深夜3時半。もちろん自分のやりたい気持ちが大前提だけど、そのなかで出てくる1つ1つの面倒くさい…をも全力で楽しめるようになりたいと思った。

 

夏にもらったカルピスをお湯で割ってホットにしてみたけど美味しいね。猫は相変わらず寝てる。これを書き終わったらまたゲームしてくる。今度は過程も楽しんだうえで上手く道具も使えるはずだから。

 

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