お世話になっている車屋さんの営業マンが家へ立ち寄ってくれて、色々と案内をしてくれたり車の状態を見てくれたりしてる間、自分の内側を見ていたらやっぱり面白かった。
嫌われたり怒られたりして自分の価値がこれ以上下がらないように!と、頭の中が途端に忙しくなっていったのだ。言葉というよりは恐怖から『〇〇せねばならない…!』みたいな感覚に陥っていくのがリアルタイムでわかった。
あえて言葉にするならこう。
『 "こんな自分なんかに" 時間をとってもらっているんだから、相手に悪い気をさせないようにしなきゃ…。あぁ…会話途切れちゃった;何か言ったほうがいいかな;』
『車汚なっ!って思われてそう…。本当は洗車したい気持ちがあるけど今は身体の調子が~とか言っておいたほうがいいかな…。』
…。
どれだけ自分の防御に必死なんやーww
って感じが滑稽よねー。
でもさ、こういう考えが浮かぶ自分を馬鹿にするつもりはさらさらなくて、そう怖々してる自分の状態をわたしは興味深くただ観るということが、今回は特にありありと体験できたんだよね。
まるで恐怖と冷静が同時に存在してる感じ。
昔みたいに恐怖のアクセルしかついていなかったから今回も会話が途切れないように頑張って会話を続けていただろうし、洗車をしていない言い訳も流暢にしたと思う。でも『それをする必要はないなー』って俯瞰の末に自分で決められた。
言ってもいいし言わなくてもいい。どちらでも大丈夫。そもそも何も問題は起きてない。
そしたら何も言う必要がないなって冷静に判断ができた。『〇〇せねばならない…!』の威力は勝手に治まっていったよ。
目の前に人は居るんだけど、向ける感覚は常に自分のほう。
この感覚が当たり前の人たちは驚くかもしれないけど、他人軸で人生をエンジョイしてきた人たちはココがそもそも違うなーって思う。常に周りへ意識を注いでしまって、自分の感覚は疎かになってしまっているから。
だから、まずは自分を大事にしましょーとかよく言われるのよね。でも、キレイさっぱりその感覚自体を忘れているから正直何のこっちゃわからないし、思い出すのにも当然時間がかかるわけで。でも、自分を大事にしたいと思えたらいつでも思い出していける。
全部自分次第だよ。っていう言葉も、苦しんでいるときに聞くと本当にプレッシャーでしかないし『それができたら苦労しない!』って言いたくもなるんだけど、ただ残念なことに全部自分次第だと受け入れたら自分が楽になっていくのも事実だから面白い。
どんな在り方にも問題なんてないけど、自分がその在り方に飽きたら勝手にタイミングがきて勝手に変わらざるを得なくなるから急がずにどんな瞬間をも楽しめるといいな~と思う。
自分の恐怖と冷静の狭間ストーリーはこれからも山ほど起きてくるだろうから、面白い発見ができるように今後も楽しんでいく。