よだれ防止の新聞紙を広げ、前脚の爪切りを頑張った猫にマタタビ付きおもちゃを献上して労をねぎらう。
どら焼き型のおもちゃでホンワカパッパになっている猫の下から見える文字。
『見たくなきものを見よ』
『ネガティブな面も自覚を』
全く違うページにそれぞれ書いてある言葉が搔い摘むかのように目に入ってくる。
あまりにも今の自分にピンポイント過ぎて苦笑い。
きっと前の自分だったら『そうだよね。ネガティブはよくないよね…。正さなきゃ。』なんて考えちゃうだろうけど、今の、この瞬間のわたしは『ネガティブな面をもつ自分も最高。』って飄々としてる。
自分の繊細で細やかな気質は生きづらさを抱きやすいけど、この気質だからこそ感じられて体験できて伝えられることが山ほどある。
自分は自分のことを大嫌いだと思っていたけど、自分は自分のことに興味津々だった。
ブログがこれだけ続いているのも自分への気づきが多いからだと思う。気づくということは、それだけ細やかに自分のことを観ることができるからだ。
絶望しちゃう自分も、人と比べて縮こまってしまう自分も、泣き虫な自分も、怒りっぽい自分も、わたしはそんな自分の全てを本気で愛したかったんだって改めて気づいていて、その視点に立っているときに何も問題のない安心のなかに居られることにも気づいている。
この視点はやはりここ。
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視点の感覚をすぐ忘れちゃうのが自分らしいけど、そんな自分をも愛おしいと思えるのはやはり視点を意識的に切り替えられるようになっているからだと思う。
自分に優しく、自分を愛する、6年前にそんな言葉たちを見たときは何のこっちゃわからなかったけど、ようやく本気で自分に優しく、自分を愛して、自分を安心させられるわたしに戻れてきている。それがたまらなく安心で自分をさらに緩ませる。
烏滸がましいのは重々承知だけど、きっとこれから自分は自分が思っている以上にもっと進化をすると思う。目には見えないところの進化が自分を一体どこへ連れていくのか?その全てを愛しながらこれからも自分を楽しんでみたいと思う。