苦手すぎる人が職場にいて、もうイヤすぎてたまらないので仕事を辞めようかと考えている人がいる。という話を聞いた。
自信(自分を信頼すること)を忘れながら生きてきた人間としては、同じものを感じつつも「その苦手だと思ってる人と同じものを自分も持ってるのにね~。」なんてしばらく他人事でスルーしてた。
でもこれは見事に今のわたしのことだった。
職場ではないけど、わたしは父が苦手。今はまだ入院中で父は家にいないけど、帰ってきたら以前よりも家で同じ時間を長く過ごすことは容易に想像ができる。そして、そうなっていったときわたしはどうなるか?
もうイヤすぎてたまらないので家から出たくなるはず。 あちゃー。やべー。
これはもう観念して自分の欠片を拾うタイミングだなって思った。父のみならず、父の母である祖母も苦手なのに、何とどちらも近くにいるというのだから好都合すぎでしょう。
そんな2人がもつクソみたいな部分を自分にどんどこ許していきたいって思えた。
多すぎて全部は書けないけど(笑)以下のクソな欠片を拾って光らせて参りたい。
すぐ怒る
知ったかぶり
人に対して態度が違う(忖度)
攻撃的
いい人仮面
自分と向き合わない
言ってることとやってることが違う
すぐ批判する
自分を出さない
コントロールをかけてくる(決めつける、自分の正解を押し付けてくる)
気分屋
成果を強調する
言い訳が多い
自虐的(被害者意識)
自分で決められない
人任せ
人のせいにする
もちろんまだまだあるんだけど、昨日の夜につらつら書き出したあと、
『くそーーーww全部自分かーーーい!ww』って笑いながらもグサグサ突き刺さって瀕死だった。チーン。
個として分離してる今の自分はそんなの認めたくない。『あんなイヤな人と一緒』なんてさ。
でもね、前回の記事とも絡むんだけど "全てである視点" からこのことを観ると、ただの安心でしかないわけ。残念ながら。自分が元々持っていた欠片に光が当たって『そうね。全てが自分なのだから自分に全てがあって当然ね。』って感じで静かさに自然と戻るというか。
何を言ってるのかわからないって人も頭じゃないところで何か引っかかると思うから、そのまま聞き流してもらいたくて。
わたし自身、ずっと自分を愛すとか許すという意味なんてわからなかったし、何なら『そんなイヤな人であっても愛さなきゃ♡許さなきゃね♡』なんて全く違う方向へ突っ走ってたから余計に辛かった。許すのは他人じゃなくて自分だったよ。
はいそーですか。って具合に簡単にはいかないかもしれないけど、このクソで最高な欠片たちを本気で内包できたら、きっと父や祖母は欠片を教える役から勝手に降りるんだろうなっとも思ってる。相手が変わるってより自分が気にならなくなるってことだけど。
当たり前だけどクソだけな人なんていなくて、成人君主みたいな人もいない。全部もってる。全部ある。だから豊かさを感じるし魅力的で個性的なんだ。
苦手な人たちのおかげで自分を知れる。全てである感覚を思い出せる。自分を緩ませてあげられる。深く感じられるのはもっともっと先だろうけど、父や祖母は自分にとって最高の恩人になると思うので今から言っとこう。
命かけて伝え続けてくれたおかげで本当の愛に気づけました。ありがとうございます。
そんなわけで、まだまだスタート地点だけど愛しいクソさが増してよりパワフルになったユキコをこれからもどうぞよろしく✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌