~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

依存と排除

テレビをつければトランプ、トランプ。

『大丈夫だと言っていたのに嘘ばっかり!迷惑千万!』

 

ネットの一部でもトランプ、トランプ。

『彼は光の存在だ!支配者たちを排除して我々を救う救世主だ!』

 

賑やか。賑やか。

みんな好きだねー。トランプさん。

 

正直、誰にどんなイメージを抱こうが人の自由だし何の問題もない。

 

それでも敢えてこのことに触れたのは、

誰かや何かへのイメージが偏り過ぎている時こそ、

『自分を信頼して落ち着いてみようよ』

と思うからなんだよね。

 

どういうこと?

別に自分は落ち着いているし冷静です。

むしろ真実を知ったうえで判断をしていますよ?

 

と感じる人も多いかもしれないけど、

自分ではない誰かや何かにひどく憎悪を抱いたり心から期待をしたりしている時は、

その誰かや何かを使ってでしか自分のバランスがとれていない状態の時なんだよね。

 

パンチングマシーンのような憂さ晴らし的な使い方だとどんどん攻撃的になるし、

『世界を救ってくれる人はこの人しか居ない!』と宗教的な使い方だと熱狂する。

 

どちらも依存的な使い方をしていることに気づくかな?

自分で自分の機嫌がとれる権利を誰かや何かに捧げている状態とも言える。

 

『いやいや、怒らせる相手が悪いのだ!』

『いやいや、彼にしか世界は救えない!』

 

怒らせる相手が消えるまでイライラし続けるの?

世界が救われるその日まで自分の無力感を感じ続けるの?

 

それって本当に自分を信頼して落ち着いている状態なの?

 

誰かや何かのせいで心をかき乱される刺激的なストーリーも面白いとは思うけど、

ここ最近のヒーローVS悪者の両極端のわかりやすい構図で庶民同士を戦わせる演出は、

言っちゃ悪いけどおどろくほどけばけばしくてダサい。( ´,_ゝ`)オットシツレイ。

 

以前から話している光VS闇にせよ、

どちら側からも正義感を駆り立てるような手法には必ず『排除』の概念が含まれる。

 

正義のヒーローは悪者がキランと空に消えるまで頑張らなきゃならない。

きちんと排除までしなきゃ、めでたしめでたしでは終われない。

でも本当のところ、排除なんてしない(できない)ところがミソ。

(敵がいなきゃヒーローは存在できないからだよ。ハイ、ここ大事。)

 

先にミソを話してしまったけど、

誰かや何かに対して強いジャッジを下しながら常に意識を向けてしまっている時は、

誰かや何かに自分を捧げながらいつか果たされるはずの『排除』を待っている時。

 

結局、待っていようが何も問題はないのだけどね。

それは最初に述べた通り、どんな状態であれ人の自由だから。

 

ただまァ、強い正義感がある時には1度立ち止まってみても損はないと思う。

 

単純に、

会ったことも話したこともない人のためにイライラするなんてもったいないし、

『愛は光です!※ただし、闇は排除してコントロールします♡』

なんていうコントロールつきの愛を愛とは思えないんだよね。わたしは。

 

色々書いたけど、同じトランプならゲームでもして一緒に遊ぼうよ。

遊び方を知ってカードを切れるのはわたしたち1人1人なんだからさ。

 

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