未熟といえば不足に溺れそうだが、
途中といえば先の希望を照らし出す。
わからないといえば無知だと恥じそうだが、
無知の知だと氣づけば可能性の渦になる。
完璧であるのと同時に、未熟を認める。
未熟を認めることで、その瞬間の完璧と出会う。
ただ、淡々と変化を受け入れる。
ただ、淡々と今の自分を受け入れる。
この瞬間、
ただ、そうである。
そうであることの連続性と不安定さに、変化し続けられる自分を観る。
観ているだけのこの瞬間にも、全てが完結をしながら変化を続けている。
ただ、そうである。
だけなのに、なかなか未熟を認められない自分。
そこからまた、全てが動き出す。