~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

自分を信頼する

『いつか死ぬ』

って本気で思えている人は、

"今(自分)を生きている(を表現できている)"人だと思う。

 

そういう人は "恐れ" はあっても、

恐れに巻き込まれていない人だとも思う。

 

【自分の人生全てを信頼しきっている】感じ。

 

 

細かいことは省くけれど、

今、色々な情報に振り回されて、

自分への信頼を失ってしまっている人たちが多い氣がする。

 

『(知名度のある)○○さんがこうしていたほうが良いって言ってたからそうする!』

『この時期はとても大切らしい!この時までにこうしておかないとダメなんだ!』

 

誰かが提示している選択肢は、その誰かの選択であり正解に過ぎない。

 

自分がその誰かと同じ選択をして心地がいいならそれでいいと思う。

 

でも誰かの意見を聞いて実際にやってみて、

それでも不安になったり焦ったりしているなら、

それは自分の正解ではないとわたしは思うんだよね。

 

恐れがあるのは本能的に仕方のないことだし、

本当の恐れ自体は毛嫌いするものでもないのだけど、

 

そのただの恐れに誰かの意見を重ねて混乱してしまい、

『自分が決める』

ことをやめてしまうのは、とてももったいないことだと思うよ。

 

色々なところで節目だとか変化だとか話が出ているようだけど、

『自分を信頼する』

ための"今"であり"時期"なんじゃないのかなとわたしは理解してる。

 

ネガティブルートだけに注視して(エネルギーを注いで)、

『ちゃんと準備をしているから大丈夫』

という恐れから逃れるための目に見える信頼より、

 

何が起ころうと、

何がどうなろうと、

生きようと死のうと、

わたしの人生は全て大丈夫。

 

という全許容の信頼は、

恐れを許して全てのルートの可能性を受け入れることに繋がると感じるよ。

 

きれい事に聞こえるかもしれないけど、

今はそういう自分への信頼に対する "覚悟" が自他問わず見える時じゃないかな。

 

良いとか悪いとかではなく、

自分にとって心地がいいか?自分にとって安心する判断なのか?

そこが大事だと思うよ。

 

自分に合わない判断をした時は、

いくら準備をしても誰かと同じことをしても落ち着かない。

 

それは自分への信頼からズレた場所にいるから。

 

今、恐れに潰されそうな人は植物や動物を見ることをおすすめするよ。

 

彼らは今なにかに恐れているかな?

彼らは今なにか特別な準備をしているかな?

 

全てを抱きしめて、この瞬間に生きてみると違う世界が見えてくるはず。

 

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