~ゆるふ らいふ~

緩んでホッとして我に還っていくわたしの記録

この世界には毎瞬、無限に形を変えた愛しかない。

『誰か』を弱い存在にしてしまったほうが都合のいいときがある。

 

『誰か』が可哀想で不幸で被害者的な存在だと勝手に決めてしまえば、

自分のほうが幸せだと勘違いできるし "本当の自分" と向き合わなくてよくなる。

 

でも、本当に可哀想な人なんているんだろうか。

ずっと不幸で、ずっと被害者でいなくちゃいけない人なんているんだろうか。

 

自分がそんな人を無意識で熱演していたから断言できるけど、その役をやり続ける限りどこまでいっても安心はできないし本当の自分にも辿り着けない。

 

だって、自分が『自分(誰か)は可哀想で不幸で被害者な人間だ!』とすこぶる信じて込んでいるんだから、もうその真実しか見えないし受け取れない。

 

そしてもれなく、

誰かにずっと依存できるし、不幸だとずっと嘆けるし、誰かへの文句もずっと言える。

生きている間、無限に。

 

でもそんなことだけをしにここへやって来たわけじゃないって本当の自分は知っているから、役に没頭し過ぎると歪や苦しみは大きくなる。孤独感でいっぱいになってやがて死にたくもなる。

 

死ぬことさえ本当の自分は止めないけど、なぜ止めなかったのかに気づいたときにきっと安心してしまうだろうね。どこまでも自分を信じていたのだとわかるから。

 

今、どんな状態であっても全ての存在は完璧。

自分で選び、自分で決めている。という力強さが全てに働いている。

それぐらい自分が信じるものは大きく映し出されて大きく受け取れる。

 

自分は一体何を受け取りたいのだろう。

自分を自分をどう見ていたいのだろう。

 

わたしは、自分と自分の人生にうっとりしていたいと思っている。

それは言葉を換えると、全てという本当の自分で生きていたいということ。

 

この世界には毎瞬、無限に形を変えた愛しかない。

 

全てが愛だと、そして全てが自分だとわかったとき、自分の世界から可哀想な人も不幸な人も被害者もいなくなる。全てを本気で信頼できるから。

 

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